雨が、降っていた。
 悪夢の化身との死闘が繰り広げられた戦場には、周囲の音を掻き消すかの様に雨が降っていた。
 だが、その中で一つだけ、別の音が聞こえる。
 それは、嘆き。
 戦場にたたずむ巨大な石像の前に、それよりも一回り大きな紅の竜戦士が膝を突いている。
「ぅぅう……ぅあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 竜戦士から響く嘆きは、空虚な戦場を満たし、そして消えていく。
 幻獣と共に石像と化した親友の前で、少年はただ嘆き続ける。
 後悔と絶望、自分の心を支配する負の感情に、地面に突いた両の拳を力任せに握り締め、少年はそれでも、自身の力の源を失わない。
 それは彼の絶望≠サのものが失われてしまったためか、それとも別の要因なのか。
 そんな彼の胸中を知らずに、親友を内包した石像は、その端から光となって形を崩していく。
「っ?! ……ってくれ……待ってくれ」
 それを目の当たりにし、少年は驚愕に目を開く。
 ボロボロと大粒の涙を流し、先程までの嘆きとはうって変わってか細い声で呟く。
 少し前、自分を護ると言ってくれた少女に掛けたのと、同じ言葉を。
「行くな……決めたんだ……もう…誰も失わないって……この日常【せかい】を護るんだって」
 親友を求めて手を伸ばすが、その部分が光となり触れる事さえ叶わない。
「行くな……行かないでくれ……頼むから」
 涙で視界にモヤがかかり、それでもそこにいるはずの親友を、仲間を、求めて、ただひたすらに手を伸ばす。
 だが、触れようとする端から光となり、救い出されたもう一人の親友が掌から零れ落ちる。
「……し…き?」
 もう一人の親友の姿に、少年は視線を落とし伸ばしていた手を引き戻し、それを受け止める。
 そして、はっとして顔をあげた。
「空弥……行くな空弥……頼むから、俺の命だってくれてやる! だから……だから……」
 親友を受け止めて握り締めることすら出来ない掌をガクガクと震わせ、再び嘆く。
「行くなっ! 空弥ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 少年の見ている前で、石像は最後の一欠けらを光に変えた。
(竜斗、俺の初めての親友。妹を……鏡佳を、頼む)
 そんな親友の遺言染みた声だけが、最後に竜斗の心に響く。
 そして、瞑っていた瞼を開けた瞬間、少年の視界の端で、何かが動いた。

勇者幻獣神エスペリオン

第10話:『竜槍』



 戦場の一角、ロードエスペリオンから少し離れた場所で、瓦礫が内側から揺らされる。
 それはしばらくグラグラと揺れ、直後瓦礫を突き破って腕が現れる。
 その腕は、タツトが唯一邪神鬼の支配から逃れた、デスペリオンの左腕だ。
 瓦礫が動くのを視界の端に捉えた竜斗は、振り返りその光景を目にした。
「た…つ……」
 竜斗がそれを、自分の分身だと確信する前に戦場に再び夜が訪れる。
 黒雲すらも吹き飛ばし、その存在感を絶対のモノにする、絶望の象徴とも言うべき夜闇。
 それが、腕の正体だった。
『流石の余も、今のは焦りを覚えたぞ、幻獣勇者』
 地響きを思わせる邪悪な声と共に瓦礫が内側から弾ける。
 その中から立ち上がるのは、獅季を失った事でサンレオンと分離したデスペリオン。
『この肉体を完全に支配するのが、あと一瞬でも遅れていれば余は敗北していた。これは賞賛するべきだぞ、本来なら貴様等の様な未熟者の成せる所業ではない。この邪神鬼に死≠思わせたのだ、それを誇りに死に行くがいい』
 デスペリオンの腕には、未だあの邪竜刀が繋がっている。
『これで終わりだ、幻獣勇者!』
 今一度放たれる、絶望と破壊の奔流。
 迫り来るそれに、しかし竜斗は動かない。
 そして、破壊の奔流はロードエスペリオンに直撃する。
『くくく、くははははははっ! これより、余が支配する闇と絶望の世界が始まる』
 勝利に酔いしれるかの様に、邪神鬼は高らかに笑いをあげる。しかし……
「…………」
 聞こえるのだ、たった今トドメを刺したはずの、竜斗の声が。
『なに……?!』
 見えるのだ、破壊の奔流に飲み込まれ朽ち果てたはずの、ロードエスペリオンが立ち上がるのが。
「……さねぇ」
 その声にも、動きにも、まるでダメージが感じられない。
 その姿をシルエットとして映していた砂埃のカーテンが晴れると、そこには竜≠ェいた。
 いや、間違ってもロードエスペリオンを指してる訳ではない。
 当然、そこに別の竜がいる訳でもない。
 言うなれば、気配。神話等では霊長類の頂点に君臨し、あらゆる生物を超越した存在。
 邪神鬼は眼前に立つロードエスペリオンから、そんな竜≠フ放つ強烈な威圧感を感じたのだ。
「許さねぇぞっ! 邪神鬼ィッ!!」
 咆哮と共に、その脚が一歩踏み出される。それだけで邪神鬼は逆に一歩脚を退いてしまう。ロードエスペリオンの放つ尋常ではない圧力に、身体が無意識に反応したのだ。
 そして気付く、その気配の正体に。
『あの瞳……余の知らぬ力?!』
 そう、邪神鬼が感じた気配の正体。それは瞳≠セ。
 ロードエスペリオンの内から向けられた竜斗の視線が、常識では測れない現象を起こしている。
 本能のままに生きる地球上の生物は、自身よりも強い相手と対峙することでその身体を萎縮させる。
 曰く、蛇に睨まれた蛙=B
 この場合は、竜に睨まれた鬼≠ニでも言えばよいのだろうか。
 その二つの生物にどれ程の上下差が在るかは解らないが、今この場では竜≠ェ鬼を支配していた。
「燃えろ燃えろ燃えろぉぉぉっ!!」
『オォォォォォォォォォォォッ!!』
 二つの雄叫びが重なると、ロードエスペリオンの全身が一瞬にして燃え上がる。
 しかしその程度では、今の竜斗はとまらない。
「まだだ! もっと、もっと燃えろ! もっと速く! もっと強く! もっと熱く!!」
『オォォォォォォォォォオォォォ! この身体燃え尽きようと! 燃えてみせる!!』
 全身を包む炎は、やがて不定形だった姿を変貌させる。
「俺の希望よ! エスペリオンよ! 限界を超えろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
『ウゥオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!』
 爪や顎、角や翼といった竜の意匠を持つ、透き通る真紅の鎧。
 今までとは明らかに様子が違う。
 鎧の様な炎を纏っているのではない、吹き出す炎が物質となって新たな鎧を生み出したのだ。
 竜の頭部を模した兜、一回り大きくなった翼、腰からは槍を思わせる尾が伸び、脚には地面を穿つ爪、他にも顔面以外の部分は全て透き通る真紅の鎧に包まれている。
『現・臨……! 超ッ! 鎧竜合体ッ!』
 翼を大きく羽ばたき、その力の余波を周囲に撒き散らす。
 それは今、この世に誕生した新たなる勇者。
 それは極限まで高められ完成した、超越者の力。
 故に全てを越えたこの勇者は、高らかにその名を叫ぶ。
 鎧竜の勇者を、越えた勇者の名を。
『「オーォバーァッ! ローォドォッ! エスペリオォォォンッ!!」』
 光よりも眩しく、雷よりも強く、風よりも速く、大地よりも大きく、そして炎よりも熱い。
 全てを超越し、勇者は初めてその名を与えられる。
 そして、全てを超越したその勇者は、最強≠フ二文字の元に、刃を振るう。
「うぅおぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁっ」
 邪神鬼は爆発音を聞いた、竜斗の咆哮と共に戦場を支配する爆発音を。
『……ッ?!』
 爆発音を聞いた、そう思考が働いた時には、デスペリオンの身体は地面と別れを告げていた。
 邪神鬼が支配したその肉体に、衝撃波の打点は存在しない。
 そう、オーバーロードエスペリオンが突撃したその勢いだけで、デスペリオンは吹き飛ばされたのだ。
『この姿では役不足か。だがあの身体は使えぬのだから、仕方あるまい』
 翼を広げ、姿勢を制御するデスペリオン。
 その肉体を借り、邪神鬼は不適な笑みを浮かべる。
『何万、何億と時が経とうとも、世界は新たな力を生む。故に、世界には余が必要なのだ……』
 デスペリオンの身体の至る所から、かつてその身を生み出した黒いモヤが噴出す。
『見るがいい、この世界に混沌と絶望を与える、神の姿を……』
 それは、あたかもオーバーロードエスペリオンの再現。
 噴出した闇色のモヤは、デスペリオンの全身を包み込む鎧となったのだ。
 身体自体が一回り大きくなり、両肩にはそれぞれ竜の頭部が、翼は鳥を思わせる有機的かつ巨大に、腰からは長い尾が伸びる。
 頭部を覆っていた兜が一度砕け、新たに邪鬼を思わせる二本角の兜が生み出され、むき出しの頭部を覆う。
 口許を隠す牙の意匠を持つフェイスマスクが閉じ、右腕と一体化していた邪竜刀を手放し地面に突き刺すと、新たに生み出した竜を思わせる長大な槍を手に取り構える。
『名は不要、これが余の……邪神鬼の姿!』
 全身から凄まじい闘気が放たれる。
 それは今まで邪神鬼が見せなかった、戦う意志。
 相手を滅ぼすのではなく、戦士として戦い、相手を倒すという意志の表れ。
 邪神デスペリオンとでも言えばいいのか。
『幻獣勇者よ、貴様を戦士として認め、改めてこの邪神鬼が相手をしよう!!』
「ざけんじゃねぇ!! テメェが神でも悪魔でも関係ねぇ! 俺がテメェを倒す!!」
 真紅と夜闇、二色の闘気が空気中でぶつかり、爆発が戦場を満たす。
 いや、爆発ではない。両者が踏み込み、斬り結んだ衝撃で生じた爆風が爆発のように見えただけだ。
 その爆風が音を失うと同時に、地面から二つの巨人が上空へ飛び出す。
『この時代に、余と斬り結ぶ男がいるとはな!』
「勝負を楽しむつもりはねぇ! 覚悟しやがれ邪神鬼!!」
 一撃一撃が必殺の破壊力を秘めた激突は、空中にいてなお、八雲学園の大地を揺らす。
 剣と槍で斬り結ぶだけではない。時には拳を、時には蹴りを、相手に叩き込む。
 竜斗らしからぬその戦い方は、しかし今までのどの竜斗よりも勝利に対して貪欲だ。
 紅月の技を駆使し、拳や蹴り、隙あらば体当たりまで繰り出す竜斗。
 敗北から時間を置かずに戦場に戻り、一度撤退こそしたものの仲間の介抱でほとんど休めていない身体だ。
 常人ならとっくの昔に体力なり気力なりが途切れ、倒れてもおかしくはない。
 だが、竜斗の動きは鈍るどころか、より強く、速く、熱くなる。
 一撃の重さも、むしろ回を重ねる毎に上がっている。
 空弥の死が、斗う竜≠フ逆鱗に触れた。
 それは比喩のようで、にも係わらず十分すぎる程納得できてしまう表現。
 神話などで語り継がれるドラゴン≠ニいう生き物は、仲間意識が強く、財宝を隠したりといった縄張り意識のある知恵持つ生き物だ。
 仲間を傷つける、あるいは財宝を盗む。そういった行為を、逆鱗に触れた≠ニ表現するのだ。
 今の竜斗の姿は、そんな印象を受けるほどに怒りと悲しみの感情を纏っている。
「うぅぅぅおぉぉぉぁぁぁっ!!」
『ぬぅぅぅおぉぉぉぁぁぁっ!!』
 正に爆発、オーバーロードエスペリオンと邪神デスペリオンの一合一合が全て、大気を震わせる大爆発だ。
 決して速くはない。漫画やアニメで見かける、姿が消えて激突の衝撃だけが見えるなどといった馬鹿げた戦闘を繰り広げられる訳がない。
 ただし、その一撃は平気で山の一つでも吹き飛ばしてしまいそうな程だ。
 だが……いやむしろ、だからこそ見ているのだろう。
 その瞳に映せるからこそ、たとえどれだけ恐ろしい力を揮おうとも、人々は、命あるモノ達は、勇者の姿を見る。
(感じる……命の……力を……)
 感じるのだ、自分以外のモノが持つ力を。
 地上から向けられる、故郷と呼ぶべきその街に生きる、命あるモノ達の向ける視線を、心を。
(心地いい……こんなにも激しい戦いをしてるのに……あんなにも悲しい事があったのに)
 それは、竜斗が剣を手にしてから初めての経験だった。
 勝負を楽しいと感じた事はあったが、それとは違う。
 勝利を仲間と喜び合った事もあるが、それも違う。
 親友を失い、怒りと悲しみで振るっていた剣は、いつしか邪念も雑念も消えた、澄み切った刃をしていた。
 そう、まるで誰かに包まれているかのような、誰かが支えてくれているかのような。そんな、心地よさ。
 今まで剣を握り戦って来たが、いつも心地いい緊張感が身体に在った。
(でも、違う……これは緊張感とかじゃない)
 竜斗の身体を支配するのでもなく、包み込むのでもなく。
 母親に抱かれているだとか、柔らかな布団に身体が沈んでいくだとか、そんな緊張を一切含まない、安らぎに満ちた心地よさ。
 気がつくと竜斗は、あまりの心地よさに戦闘中にも係わらず街へと視線を向けていた。
 そして、そこに広がる光景に、絶句した。
(ひか…り……?)
 竜斗の見た光景、八雲学園と呼ばれるその街には、小さな光があった。
 ただし、一つや二つどころか十や百でも利かない、無数の光。
 それが、先程から感じている命あるモノの光だと理解するのに、時間は必要なかった。
(まるで、星空の様だな)
(星空? なんでだよ、あそこは空じゃねぇぞ?)
 一心同体となっている相棒とはいえ、戦闘中に会話している事に全く疑問は抱かなかった。
 だが、エスペリオンの言葉は、竜斗の興味を引くには十分過ぎる程、不思議な響をしていたのだ。
(昔の詩人は、地上から見上げる星空を星の海≠ニ例えたと聞く。ならばあの光は、地上という空に瞬く、星の輝きとも言えるのではないか? ふと、そんな風に思えただけだ)
(だったら俺は、満点の星空に抱かれたお月様だな、紅月だけにな。メルヘンチックだろ?)
(ああ、キミらしくはないと思うがな)
 いったいどれくらいの時間話をしていたのか解らない。
 こんな冗談めいた言葉を交わしながら、戦っているのか、それもと時間が止まっているのかも解らない。
 ただ、この瞬間はとても心地のいいものだと。それだけは解るのだ。
 そして、自分が戦っている事さえ忘れてしまいそうな、身体に浸透していく心地いい安らぎの中、竜斗は聞いた。
頑張れ! 赤いロボット!!
 それは、竜斗を見ていた、命あるモノ達の声。
 一つではない、いくつも、いくつも。
 人だけではない、獣の咆哮や木々の葉の揺れる音までもが、竜斗に声援を送っているのだ。
(伝わってくる……力が……想いが……)
 幻獣勇者の力の源は、命あるモノが思い抱く希望。そして、幻獣の力に上限はない。
 自身の希望だけで、勇者と呼ばれる力を手にすることが出来るのならば、命あるモノが溢れる街の希望を、その全てを力に出来るなら、それは果たしてどれ程の力になるのか。
 それはきっと、とてもとても尊い光。
 それはきっと、なによりも優しい光。
 それはきっと、永遠に輝き続ける光。
 そしてそれは、この瞬間、勇者という月を、夜空に輝かせる太陽の光。
(今なら分かる、何で俺達が幻獣勇者≠チて呼ばれてるか)
(ああ、ワタシもだ。ワタシ達は英雄でも救世主でもない、勇者なんだ)
 それは、栄光ある偉人に贈られる名でもなく、世界を救う事を運命付けられた存在を指す名でもない。
 共に世界と歩み、共に語らい、共に生きていく。そんな者達に与えられる、それが勇者という名前。
『余も落ちたものよ、このような小僧に余裕を見せられるとはな』
 いつの間にか、再び八雲学園の戦場に立ち対峙するオーバーロードエスペリオンと邪神デスペリオン。
「余裕なんかねぇさ。でもな……」
『ああ。だが、今のワタシ達は……』
『「負ける気がしない!!」』
 満点の星空に浮かぶ光を、その全てを一身に受け、オーバーロードエスペリオンは、勇者は、透き通る真紅の鎧から銀色掛かった青白い光を放ち始める。
 それはそう、まさしく月の光。
 ある伝承では満月の日は魔物の力が最も高くなる時間と言われ、またある物語では満月の夜にしか咲かない花があると言われる。
 それは昔から地球に住まう人間が、夜に地上を照らす満月に、ただ光っていると言うだけでない、不思議な力を感じたからなのだろう。
 そうだ、この月という光は、太陽が沈み闇に支配されるこの世界を照らす光。
 この世界の、邪神鬼という夜を斬り裂き光をもたらす勇者。
 世界はこの後、彼の事を語り継ぐであろう。
 そう、夜を斬り裂く月光の幻獣勇者・エスペリオンと。
『ガォオォォォォォォォォォッン!!』
 オーバーロードエスペリオンの胸部の竜が、ロードドラグーンが、雄々しき咆哮と共にその顎から炎を吐き出す。
 それは大気に触れると瞬く間に物質化し、薙刀にも似た長大な槍を生み出す。
『ドラグーゥゥゥンッ! ビッグランサーァァァッ!!』
 右手に長大な槍を、左手にロードセイバーを持ち、その柄尻同士を強引にぶつけ、繋げる事でより長く、上下に刃を持つ移植の武器が完成する。
 両手で構えてもなお長すぎる長槍を構え、何か見えない力に引き寄せられる様に地面から遠ざかるオーバロードエスペリオン。
 その背中は、夜空に浮かび上がる銀色の満月を背負い、掲げる長槍は星空≠ノ輝く星達の光を集め、黄金の光を放つ。
(聞こえる……みんなの想いが……みんなの希望が……)
 放たれた光はやがて、意思を持って動き、姿を変え、勇者を包み込む光の竜を形作る。
 それはまるで、空弥が生み出して見せた力、風之皇≠彷彿とさせる。
(空弥はあの時、全部解ってたんだな。アレを使えば、自分がどうなるかも、全部)
 僅か、ほんの十数分前の事だ。
 親友が最後に見せた、あの力。神々しいまでに羽ばたく、風之王之ノ舞。
 そうだ、あれは、空弥の命そのもの。空弥の希望そのもの。
 だからこそ、あんなにも眩しく、神々しく、そして力強い。
 人間一人の命を懸けた力が、ちっぽけなはずがないのだから。
(竜斗、キミはそれを解っていながら、それでも使うのか、この力を)
 エスペリオンは問う。
 この、幻獣と勇者の命と引き換えに、その希望で世界を照らす。
 一生に一度の、だけどこの世界にとって永遠の、希望。
 それは、とても素晴らしい力。だけど、それだけの代償を必要とする力。
 それだけの決断をするには、竜斗はまだ幼いと言っていい年齢だ。
(………………)
 当然、その問いに押し黙る竜斗。だが、
(ったりめーだろ。こんだけみんなの想いを託されて、勇者≠ェ黙ってるわけにはいかねーだろ!!)
 その言葉に、声に、表情に、竜斗は全くの迷いを見せない。
「だから……見せてやる! この世界に満ちる! 永遠の希望をっ!!」
 勇者は光の竜を纏い、その輝きで夜闇を照らす。
 その輝きは人々に希望をもたらし、悪鬼羅刹に苦痛を与える。
『先の失態もある。故に、無防備に受けてやる道理はない!』
 竜を思わせる長大な槍を右手に、更に地面に突きたて捨て置いた邪竜刀を左手で抜き構える邪神デスペリオン。
 二本の切っ先を真正面に向け構えると、胸部の竜が夜闇色に輝く光の玉を放ち、その切っ先で留まりその輝きを増す。だが、
「この瞬間を待ってたぜ!!」
 竜斗が、否、竜斗と同じ声の少年が声を張り上げ、邪神デスペリオンが左腕に構えた邪竜刀を自分の背後の地面に衝き立てる。
 そう、勇者の放つ光で地面に刻まれた、邪神デスペリオンの影を突き刺す形で。
『なんだとっ?!』
 直後、輝きを増していた夜色の光の玉は消失し、邪神デスペリオンは動きを止める。
 この身体の本来の持ち主、竜斗から生まれた絶望の塊、タツト。
 その存在は、未だ消えてはいなかった。
「テメェが邪竜刀を手放した時は正直焦ったがな。もう好き勝手はさせねぇぜ、邪神鬼」
 そうだ、タツトは竜斗が真の意味で勇者となり、その光が自身を照らす瞬間を待っていた。
 身体の支配も、その気になればいくらでも邪魔を出来た。しかししなかった。
 それは偏に、この瞬間のため。この、勇者が大いなる悪を打ち倒す、この瞬間のためだ。
『貴様ッ! 自身が影である事を利用し、オリジナルが生み出した影に自らを縫い付けたかっ!?』
 オーバーロードエスペリオンの放つ光は邪神デスペリオンの身体にも降り注ぎ、戦場に
くっきりと人型の影を刻み付けている。
 その額に当たる部分に、邪竜刀が衝き立てられている。
 所謂、忍術などで言う影縫い≠ニ呼ばれるモノなのだろう。
 自分が影であること、影を作ったのが自分のオリジナルであること、そんな条件が勇者の剣の複製である邪竜刀によって縫い付けられたのだ。
「タツトッ!!」
「今だ竜斗ッ! オレごと邪神鬼を倒せ!!」
 その台詞に、竜斗は自分でも不思議な程はっきりと反発した。
「馬鹿野郎ッ! んなことしたら、お前は!!」
「言っただろうが。テメェに助けられるくれーなら、オレは邪神鬼と一緒に死んでやるってな! それに……」
 自分の様な偽者の命でも本気で助けようという竜斗の想いに、タツトは一瞬だけ口許を緩めた。
「それによ、もう嫌なんだ……、この手が、オレのこの手が、大切なモノを壊しまうのは……大切な人を傷つけちまうのは……、だからっ!!」
 タツトは初めて、本当に初めて、涙を流した。
 苦しいのでも、悲しいのでもなく、何故か、涙が流れた。
「頼む竜斗!! オレを殺してくれぇっ!!」
『「うぅぅぅおぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」』
 タツトの叫びに、竜斗とエスペリオンの咆哮が重なり、輝きはより一層強くなる。
『ぬぅぅぅっ!? 余は! 余は邪神鬼!! 全ての命あるモノの悪夢と絶望の象徴なり!!』
 邪神デスペリオンの身体が爆発し、邪竜刀の刀身が砕ける。
 身体の自由を手に入れた邪神デスペリオンは即座にもう一度力を溜め始めるが、最早手遅れ。
 勇者を内包した光の竜は、地上の邪神鬼を目掛けて突撃を開始した。
「これが……これが! 永遠の希望だぁぁぁぁぁぁっ!!」
 力不足なれど、邪神鬼は勇者を迎撃する為にその力を解き放つ。
『砕け散れぃ! 幻獣勇者ァッ!!』
 少ないながらも溜めた力は無数の光弾となって、オーバーロードエスペリオンに襲い掛かる。
 光の竜に守られながらも、その光弾は確実にオーバーロードエスペリオンにダメージを与える。
『くっ?! だが!!』
 だが、それでも突撃は止まらない。
 なぜなら、今の竜斗は、この一撃は、ただの一撃ではないから。
「突っ切る! みんなの思いを乗せた、この一撃で!!」
 竜斗一人ではない、仲間達だけでもない。
 竜斗と触れ合った人達が、竜斗の故郷に暮らす人達が、竜斗の暮らす街で息づく命全てが想いを込めた、ただ一度の、だけど今から永遠の、希望だから。
『むぅあだ倒れぬかぁぁぁっ!!』
 邪神デスペリオンは留めとばかりに一際巨大な光弾を、いやむしろ光線と呼ぶべき攻撃を放つ。
『貴様がワタシ達の世界を悪夢と絶望の夜で覆い尽くすと言うなら!』
 爆煙の中から姿を現し、光の竜を失ってなお、加速し突撃するオーバーロードエスペリオン。
 その全身が、背負う月光を浴びて青白い銀色に輝く。
「俺達の希望で! テメェの心の中まで照らしてやる!!」
『戯言をぉぉぉっ!!』
 それを見越していたのだろう。邪神デスペリオンは翼を広げ長大な竜を思わせる槍を刺突に構え一気に加速する。
『エルダーァァァサインッ!!』
 邪神鬼がそう叫ぶと同時に、邪神デスペリオンの正面に夜闇に光る六虻星の魔法陣のようなモノが浮かび上がる。
 その陣を突き抜け、邪神デスペリオンの全身もまた、夜闇色に輝く。
『「邪神鬼ィィィッ!!」』
『幻獣勇者ァァァッ!!』
 そして、二つの光は、交差する。
『「うおぉぉぉっ!! エターナルッ! エスペライザーァァァッ!!」』
『ぬぅぅぅおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』
 二つの力は激突し、互いにその後ろを突き進み、そして同時に着地する。
 地面を抉るようにして着地した二体の巨人。先に膝を突いたのは……
『……フン』
 幻獣勇者だった。
「がはっ!?」
 短い悲鳴と共に勇者の口許を覆うフェイスマスクがひび割れ、砕ける。
 最早超越者としての鎧も砕け散り、ロードエスペリオンは力なくその場に崩れ落ちる。
 そして、邪神デスペリオンは、
『フ、フハハハ! ファーッハッハッハッハッ! 見事だ幻獣勇者! この一撃、忘れはせんぞ!!』
 胸の竜を砕き突き刺さる長大な槍に、高らかに笑い声を上げる。
『余は敗れた……だが……そう、だがな……ファーッハッハッハッハッ……』
 突き刺さる槍は、邪神デスペリオンの身体に三日月を象った紋章を刻みつけ、まるでブラックホールかのようにその身体を内側へと吸い込んでゆく。
 そして、紋章が全てを吸い尽くした後、戦場には静寂が訪れた。
 勝利への歓喜も、悲しみの嘆きもなく、ただ、静寂だけが戦場を支配する。
 空からは闇が去り、太陽が水平線の向こうから顔を覗かせる。
 世界に、光がもたらされた。膝を突き、もう動かなくなった勇者の力によって。







「朝日だ……」
 降流山の頂、紅月家の縁側から黄華は、水平線の向こうから上る朝日を見た。
「竜斗さんが……竜斗さんが勝ったんです。ペガサスさん、竜斗さんを迎えに行きましょう」
 黄華の声に朝日へと視線を向けた碧は、自分が戦いに行く事を良しとしなかったパートナーへ、戦いの終わりの確信と共にその許しを得るために声をかける。
『………………』
 だが、シードペガサスは応えない。何かを考えるように、押し黙っている。
「あの、ペガサスさん?」
『感じられない……幻獣の命が……』
 不安になった碧が再び声をかけると、シードペガサスは不可解な事を口にする。
「ぇ? ……今、なんて」
『だから、戦場に幻獣の命の息吹を感じない。アタシの存在価値そのものである他者の命が、このアタシにも感じられないのよ』
 それは、どういうことだろうか。解っているはずの答えを、碧は自問する。
 ありえない。でも、もしかしたら。
「そん……な……」
 そう考えるだけで、碧は自分の身体の自由を失った。
 身体は勝手に動き、立ち上がり、紅月家の玄関に向かって走る。
 靴を履くことすら忘れて玄関を飛び出し、街へと続く石段を段飛ばしで駆け下り、一部瓦礫の山と化した街中を駆け抜ける。
「そんな……そんな……」
 戦場の場所は山の上からも確認した。そう遠くはない。
「竜斗さん……竜斗さん……竜斗さん……」
 幻獣勇者として、常識を外れた身体能力が、碧を風よりも速く、戦場へと走らせる。
「……竜斗さん!」
 そして辿り着く。動かなくなった勇者だけが残された、戦場へと。
 そこで碧が見たのは、全身の色素が薄くなり、まるで死んだように動かない、ロードエスペリオンの姿だった。
 胸の竜と人型の頭部、どちらの瞳にも光はなく、指先一つ動く気配はない。
 もう碧も気付いている。先程シードペガサスが言った事が、どういう意味を持っているのか。
 そして、自分の感覚もまた、それを確かに感じ取っている事を。
「竜斗…さん……迎えに来ましたよ? 手当てしますから、出てきて……くださ…い」
 声が震える。手が震える。脚が震える。目蓋が震える。
「竜斗さ…ん? ダメじゃない…ですか。ちゃんと…返事して……くれない…と」
 瞳が震える。視界が震える。想いが震える。
 身体が、心が、震えて止まらない。
「もう…返事しな…いなら……奥の手…使っちゃ…います……よ?」
 そう言って碧は、自分の服のポケットを手で探る。
 そこから取り出すのは、先日竜斗と一緒に買った、携帯電話。
「私、竜斗さんの番号、知ってるんですからね? 掛けちゃいますよ? だから、ちゃんと出てくださいね」
 ようやく身体の振るえが止まった。
 でも、心の振るえが、想いの振るえが止まらない。
「掛けました、よ?」
 トゥルルルルルル、そんなお決まりのコールがスピーカーから響く。
 携帯電話を耳に当て、断続的に鳴るコールに耳を傾ける碧。
 普通なら、気付いてから手に取って、携帯電話を開いてボタンを押して、長くても五コール程だろうか。
 でも、竜斗はまだ出ない。

 トォルルルルルル……

 コールが十回を越えた辺りから、まら身体が振るえだす。

 トォルルルルルル……

 コールが二十回を越えたら、目蓋を強く閉じた。

 トォルルルルルル……

 コールが三十回を越えると、碧は震える手を耳から離し、嗚咽と共に竜斗の名前を呼ぶ。

「ヒクッ……竜斗さん……グスッ……竜斗さん…お願い……出てください……グスッ」
 静寂が支配していた戦場に、碧の泣き声を我慢した嗚咽が響く。
「グスッ……竜斗…さん……竜斗さん……竜斗さん……」
 コールはまだ続いている、今ので何回目だろうか。
「竜斗さん…竜斗さん…竜斗さん…竜斗さん…竜斗さん…」
 返事はなく、ただ呼び続けるしか出来ない碧。
 それでも、前に言ってくれた言葉を思い出し、ボソボソと竜斗に語りかける。
「もう、悲しませないって、言ってくれたじゃないですか……これは誓いだって、言ったじゃないですか……竜斗さん…竜斗さん…竜斗さん!」
『わ、悪ぃ碧! 出るの遅れた!』
 初めて、返事が返ってきた。いつの間にか呼び出しコールは止まっている。
 その代わりに、返事が、竜斗の声が聞こえた。
「竜斗……さん…?」
 碧は携帯電話を耳に当て直し、竜斗の声を聞こうともう一度名前を呼ぶ。
『おう、竜斗さんだ。正真正銘、碧を守るって誓った竜斗だよ』
 やっぱり返事があった。機械を通されても解る、間違いなく竜斗の声だ。
「竜斗さん! 平気…なんですか?」
『おぅ、ちっとばかし手が震えてて、ポケットからケータイ取り出すのに手間取っちまってな』
 ははは、と苦笑する竜斗の声が聞こえる。
『いや、流石に街のみんなの想いって、文字通り重いらしくてさ、もうさっきから手がプルプル震えてとまらねぇんだよ』
 本当に聞こえる、そう思うとさっきまで我慢していた涙が堰が崩れて溢れ出して来る。
 そうなるともう自分では止められない。
「生きて…本当に……竜斗さん……」
「あぁ、本当だよ。なぁ、エスペリオン!」
『当然だ、ワタシ達は、生きている』
 その声と同時に、光を失っていたエスペリオンの瞳が光を取り戻す。
「勝ったよ、碧。俺達、勝ったんだ!」
 携帯電話から聞こえていた声は、いつの間にかロードエスペリオンから聞こえている。
「竜斗さ……グスッ…よがった……グスッ…竜斗さん……良かった…良かったよぉ」
 もう完全に張り詰めていた糸が切れてしまったらしい。
 碧はその場にペタンと座り込み、満面の笑顔を浮かべて泣いていた。
 そんな碧の姿に見ていられなくなったのだろう。竜斗は胸の竜から姿を現し、地面に飛び降りて碧の元に駆け寄る。
 いや、駆け寄ろうとしたのだが、着地した時に足がもつれた。
「っ?!」
 こけない様にと無理矢理脚を前に出すが、それが余計にバランスを崩す結果となる。
 戦闘で舗装も何もあった物ではない地面は、バランスを崩した竜斗が踏み外すには十分過ぎたわけだ。
「……っととと?!」
 それでもなんとか碧の元まで辿り着くが、そこで完全にバランスを失った竜斗は勢いそのまま盛大に碧の方にこけた。
「ぉわっ?!」
「きゃっ?!」
 こけた勢いで碧を押し倒す竜斗。
 そんなつもりは全くなかったのだが、それはもう運が悪かったとしか、いや、良かったとしか言いようがない。
「っつー!? 悪ぃ碧、大丈夫か?」
「うみゅぅ〜、苦しいです」
 まだ身体が上手く動かない竜斗は、碧を押し倒したまま自分の体重を腕や脚で支える事も出来ずに全体重を碧に乗せている事になる。
 竜斗はこの年齢ではかなりガタイの良い方だ。当然、体重も比例する。
 突然の加重に戸惑い、それ以上に竜斗との接触にドギマギしながら、碧は首に下げた指輪からリュミエール・カーバンクルを召喚する。
『ミュ〜』
 人間に合わせて小動物程度のサイズで生物の姿のまま実体化したカーバンクルは、碧の意思を受けて竜斗の手足を癒す。
「お、おぉ〜?」
 感覚の戻ってきた自分の身体の感覚を確かめる様に動かしてから、碧の上から降りる。
「ホント悪ぃ、大丈夫か?」
「う〜、大丈夫です……竜斗さんは大丈夫ですか?」
 押し倒された時に軽くぶつけたのか、涙目で後頭部をさする碧。
 その一〇〇パーセント善意の心配に、竜斗は思わずどもる。
「お、俺は大丈夫だぜ? いや、ホント全然大丈夫。今碧にも治してもらったしな」
 少し捲くし立てるくらいの勢いで言い切る。
 それはそうだろう、夢の様に柔らかいクッションに助けられたとは死んでも言えない。
「ほら碧、もうそんなに泣くなよ。な?」
 言いながら震えの止まった手で、碧の涙をそっと拭ってやる竜斗。
 そして、その身体を抱きしめた。もう、残っている力で目一杯、碧を抱きしめた。
 そこに若干の誤魔化しも含まれているが、元々こうする事が目的だったので良し、と自己完結する。
「ただいま、碧。心配させてごめんな」
「竜斗さん……おかえりなさい、です。もう、こんな想いするの、嫌ですからね?」
「任せとけ! もう絶対、碧に悲しい想いはさせないから」
「はい! 竜斗さんの事、信じてます」
 互いに抱きしめ合い、相手の耳元で囁く様に言葉を交わす二人。
 だが、二人はそこに他の仲間が向かっている事に気付いていない。
 直後それで非常に気まずい空気になるのだが、何はともあれ。
 勇者は、幻獣勇者は、邪神鬼を倒したのだった。






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