小鳥のさえずりが聞こえてきそうな、清々しい月曜日の早朝。
 降流山の頂きに門を構えるここ、紅月剣術道場からは今日も激しさを感じさせる稽古の音が響いていた。
「ったぁぁぁぁ!!」
「ほれ、ほれ、当たらんぞ」
 今日も今日とて避け続ける龍造に竹刀を振るう竜斗、最近は意識も高まってきたのかその鋭さにも磨きが掛かってきた様に見える。
 もっともどれだけ磨きを掛けようと、手品でも使っているのか龍造にはカスリもしない。
「このっ、ちょこまかとっ!」
 バックステップで距離を取った竜斗が、竹刀を全身を使って背中まで振りかぶる。
「喰らえっ! 鳴月(めいげつ)ッ!!」
 踏み込み、腕の振り、腰の捻りなど全身を使った竜斗の斬撃は、通常の振りの速度を軽く上回り、僅かに首を傾げた龍造の背後の壁に小さな亀裂を作る。
 紅月流剣技・鳴月。全身を使って刀を振り抜くことで鋭さと速度を極限まで高め、真空波を飛ばす技である。
 ちなみに、真剣でこの技を使用した際、刀身に光が反射して月を描いて見えるという。
 なお、描かれる月は使用者の熟練度が上がるにつれ、三日月・半月・満月と光を増してゆく。
「ほう、ようやく鳴月も使えるようになったか」
「へっへーん、どうだコンチクショウ!」
 珍しく感心したような事を漏らす龍造に、得意気な笑みを浮かべる竜斗。
「遅かったのぉ・・・・」
 しかし続けられる心底呆れかえった声に、ガクリと肩を落とす。
「テメェがまともに教えねぇからだろ!!」
 竜斗の言葉ももっともである。最初に基本こそ教えたものの、それ以降龍造はまともに技を教えた事はない。
 竜斗が技を覚えるのは、龍造が一度二度使って見せた技を見様見真似で使っているに過ぎない。
 まぁ、使えば不出来な部分を注意はするが、最初から教えてくれた事は一度もない。
 竜斗が刀を振れるようになってからは、もっぱら実戦形式の打ち合いだけである。
 それでここまで技を覚えたのだから、もう少し竜斗を評価してやっても良いというもの。
 龍造にも一応そういう気持ちがあるのか、不意にいつになく真面目な顔つきになる。
「じゃが、ようやくおぬしにも人の剣を超える準備が出来たわけじゃな」
 言って珍しく、本当に珍しく師としてでなく一人の剣士として刀を構える龍造。
 その手にあるのは竹で出来た竹刀であるにも拘らず、ビリビリと肌に感じる剣気に竜斗は無意識の内に竹刀を構える。
「・・・・っ?!」
「動くでないぞ、死にたくなければのう」
 数メートル離れた場所で紅月流独特の右担ぎの構えをとる龍造は、その場から一歩で踏み込み竹刀を振るう。
「紅月流・・・・竜月(りゅうげつ)ッ!!」
 龍造の太刀は地を駆ける光る衝撃波、闘気を生み竜の大顎の如く竜斗を喰らい包み込む。
 竜の咆哮を思わせる空気の振動と共に竜の大顎に包まれ、竜斗の視界は闘気の光に支配される。
「・・・・・・・・」
 息をすることすら忘れ数秒、視界が回復した竜斗は、眼前で止まっている竹刀に戦慄した。
「これが、紅月流の基本形、鋭月∞月華∞月波∞鳴月≠フ4つを極めた者のみが会得する事の出来る人を超えた剣技、紅月流竜月≠カゃ」
 竹刀を下ろし竜斗の前から離れる龍造、その背中は竜斗に初めて刀を握らせた剣士の背中だった。
「今のおぬしには必要であろう? 使いこなせば、連月を遙かに超える切り札になるじゃろう。会得したくば精進せい」
 そう言い残して道場を後にする龍造を目で追う竜斗は、自分の瞳に焼きついた竜の大顎に新たな闘志を燃やす。
 今まで一度も見せることのなかった技、人の剣を超えた紅月の剣技。
 それは紅月流の奥義と呼ぶに相応しい技だと、竜斗は確信めいた何かを感じていた。

勇者幻獣神エスペリオン

第7話:『悪 夢デスペリオン



 幻獣と邪鬼、二つの存在は人間を遙かに超える力を持ちながらも、直接人間に危害を加える事は出来ない。
 それは、人間界と幻獣界・邪鬼界の間に互いに不可侵の結界境界≠ェ存在する為だ。
 境界は幻獣界・邪鬼界からのあらゆる干渉を遮断し、人間界へ渡ることは勿論、攻撃を加えることも何かから護る事も出来ない。
 しかし例外はある。境界に存在する唯一の通路、人間界で生まれた夢≠ェ幻獣界ないしは邪鬼界へと送られる際に通る道があるのだ。
 ただし、その通路の人間界側は不死≠司る太古の幻獣が三世界のバランスを安定させる為に守護している。
 幻獣界ないしは邪鬼界へと送られる夢≠ヘ、この幻獣によって幻獣か邪鬼かを審判され、その行き先を決定する。
 その必要不可欠な役割故に不死≠フ力を持つ幻獣は、如何な幻獣や邪鬼でも倒す事は叶わず、故にその門を越えて人間界へ向かうことも叶わない。
 だが、人と呼ばれる生命体が文明と呼べるだけの文化を築いた頃、三つの世界のバランスは大きな変化を迎える。
 人のとある行動が、境界を越えた幻獣界との精神的な繋がりを生んだのだ。
 それは夢を見ること=B眠りにつき夢を見ることで、幻獣界にいる特定の幻獣と意識を同調させ、人と幻獣が間接的にとは言え出会ってしまった。
 世界中でもほんの一握りではあるが、幻獣と意識を通わせた人は不思議な力を手に入れ、他の者の上に立つ指導者的な存在として人間界を変えていった。
 しかし、世界の変化はそれだけでは止まらなかった。
 夢の中≠ニいう人間への干渉の術を知った邪鬼は、幻獣と同様に人間の夢の中へと潜り込みその意識を侵し始めた。
 幻獣と違い個を特定するモノを持たない邪鬼は、代わりにどんな人間の夢であろうと潜り込み、その人間の心の悪夢や絶望を引き出す。
 邪鬼に侵された人間は、その身体を邪鬼に酷似した姿に変態させ、理性を失い破壊衝動に支配される。
 そう、これこそが人の世の裏で跋扈する人鬼≠フ誕生である。
 人鬼となった人間は、その存在を邪鬼のモノと入れ替えられ、その存在を構築する要素さえも邪鬼のモノとなる。
 つまりは人の抱く悪夢や恐怖、絶望感を糧に力を得られる人鬼は、己を恐れる人間に倒されることは無い。
 世に物の怪や妖怪変化などと言われた、現代に明確な証拠を残さない異形たちの中にも、この人鬼が混じっていたという。
 そんな人々の恐怖の対象として人の世に跋扈する人鬼に対抗すべく、立ち上がった者達がいた。
 彼らは皆幻獣と心を通わせ、邪鬼の存在を知る者達。
 彼らが知らず知らずに手に入れていた不思議な力、それは心を通わせることで共有した幻獣の力。
 彼らはその力を使い、世に跋扈する人鬼を討滅する戦いを始める。
 後に幻獣勇者と呼ばれる者達の開祖、初代幻獣勇者と言うべき者達の誕生である。
 幻獣勇者と人鬼の戦いは、この後歴史の裏で永遠とも思われる時間続き、その間に何度も状況の変化を見せてきた。
 邪戦鬼の人鬼化、幻獣勇者の武装獣との契約。
 その他にも大小様々な事象を繰り返し、しかし常に均衡が保たれその規模は拡大するばかり。
 戦いが激化するのに平行して世界は異形を否定する時代へ移り変わり、幻獣勇者達は自分たちの戦いを人の目の届かぬ闇に隠し、己の存在さえも隠すようになる。
 それは幻獣の存在を隠し、邪鬼の存在を隠し、戦いを隠し、その痕跡を隠し、己さえも人の世から隠さなければならない。
 結果、幻獣勇者は己の存在を歴史の裏に隠し、孤独な戦いを続けた。
 中には仲間と共に戦い、後世に自分たちの役目を受け継がせる為に一族を創った者もいると噂されるが、表に出ることは無く記録としては残っていない。
 そうして幻獣勇者と人鬼が人の記憶から完全に消え去った今、幾つもの偶然、幾つもの必然が重なり合い、三世界は新たな変化を迎えた。
 人間界と二世界を隔てる境界に亀裂が生じ、邪鬼の本体が人間界に渡ってきたのだ。
 そんなことをすれば当然ただでは済まない、普通ならば越えたは良いが動けなくなるのが関の山。最悪、越えた直後に燃え尽きる可能性もある。
 だが理性など持ち合わせていない低級の邪鬼達は、その破壊衝動故に同属を盾とし、燃え尽きるその身体を突き破って少ない傷で境界を越える。
 悪夢の象徴ともいえる邪鬼は、人間界に現れることで特殊な波動を放ち、人間の精神を深い悪夢へと誘う。
 また、強い絶望感や野心を抱く者は、その波動の影響で人鬼に変態してしまう。
 境界の亀裂を察知した幻獣たちもまた、邪鬼を止めるべく亀裂を通り人間界へと渡った。
 ただし、普通に亀裂を通るだけでは境界の余波で致命的な傷を負う為、幻獣達は己のパートナーたりえる者に呼び掛け、そのパートナーに道を開いてもらわねばならないのだ。
 悪条件の中パートナーとの繋がりを得た幻獣は、人間界へと渡りパートナーとの契約を交わし、戦う為の鋼の肉体を得る。
 正に激化する邪鬼との戦いを勝ち抜く為に、幻獣勇者の姿が進化したといえよう。
 しかし、人間界に渡ることは、何も良いことばかりではない。
 人間界を戦場に変えた幻獣と邪鬼の戦闘は、被害の大きさを増す一方。
 更に、邪鬼の影響で大半の人間は戦闘を目撃できないとはいえ、その存在は大々的に世界へと知れ渡り、人間の知らない未知の存在の実在を証明してしまった。
 中には好奇心を抱く者もいたが、世間の大半はその存在に恐怖を抱き、邪鬼の力の根源たる恐怖≠竍絶望感≠与える結果に繋がる。
 それ故に幻獣勇者は、現代に至って尚、その正体を隠さねばならない。
 この世界に生きる人々の日常せかいと、自身の日常せかいの平穏を守る為に。






 幻獣勇者にシードカイザーという頼もしい戦力が加わって数日、八雲学園にも普段の平穏が訪れていた。
 八雲学園の中枢とも言うべき学校区でも、一日も休校になることはなく授業が行われている。
 休日明けのその日、午前中の授業を終えた高等部校舎特別教室棟の一角、生徒会室とプレートの掛かった教室に紅月 竜斗他、幻獣勇者の面子が集まっていた。
 先日の戦闘で自分を含めて5人に増えた仲間に、竜斗は改めて幻獣と邪鬼、そしてこの戦いについてエスペリオン達に話を聞くことにしたのだ。
 丁度休日の間にその話を碧にしたところ、生徒会長権限にてこうして昼休みに生徒会室を開放してくれたのだ。
 なんの問題もなく集まった5人は、手早く自己紹介を終えて昼食を取りながら幻獣達に話を聞いていた。
「なんっつーか、やりきれねぇな。別に見返りなんざ求めちゃいねぇけどよ、俺達がいるだけで迷惑だって言ってんだろ?」
 改めて話を聞いた竜斗の第一声がこれだ。
「でも、街一つを壊せるだけの力を持った人が直ぐ隣にいるなんて知ったら、誰だって怖いと思います」
 想像した途端に嫌にやったのか、俯き気味に応える碧の声は自虐的だ。
「とりあえずは、アタシ達が幻獣勇者だって事を秘密にしてればいいんでしょ?」
 暗い話は嫌だと、雰囲気を変えるようにわざと大きい声で話す黄華。
『キミ達が日常生活を送る分にはそれで問題ない。だが、ワタシ達を召喚する際に目撃されないよう、細心の注意をして欲しい』
 黄華の言葉に付け足すように、竜斗の木刀に意思を顕現させたエスペリオンが告げる。
「この街は学園都市ということもあって、通常の都市よりも遙かに多くの人がいます。特に授業中に邪鬼が来た時は、誰にも見られないのはかなり難しいと思います」
 言葉よりも難しい顔で、鏡佳が問題の難点を上げる。
 事実、休日の夕方にひと気の無い場所を選んだにも拘らず、竜斗と碧は黄華に目撃されている。
『かといって、邪鬼の影響で周囲の人間が意識を失ってからでは遅過ぎる。やはり何らかの方法を考えておく必要があります』
 事務的に、というか堅苦しく告げるのはシードユニコーン。黄華がテーブルに置いた指貫グローブに意思を顕現させている。
『ん〜、誰かが注意を引き付けておいて、その間に他の皆が出てく・・・とか?』
 碧の首からペンダントのように下げられた指輪から、シードペガサスの声が発せられる。
 その声に冗談めいた響きがあるのは、こんな提案は即却下だという事を理解しているからだろう。
『策とも呼べんな、人一人で何人の目を誤魔化せる。それならばまだ人間が気を失うのを待つ方が効果的だ』
『なによ〜、そこまで言わなくても良いじゃない』
 真剣味に欠けるシードペガサスの発言を、一刀両断の如く切り捨てるシードグリフォン。
 その意思は鏡佳の左腕に付けられたブレスレットに顕現させられている。
「今私達が考えるべき事は、どうやって周囲の目を盗んで幻獣を召喚するか、です。最良と思われるのは、やはり一度鎧として力を顕現させた状態で改めて召喚する≠セと思います」
 恐らくは、話を聞いている間にいくつか方法を考えた上での鏡佳の発言。
 幻獣の力のみを顕現させる事で鎧として纏い、同時に素顔を隠して幻獣が召喚できる場所に移動。その後、迅速に幻獣本体を召喚、戦場に向かう。
 鎧を纏うほんの数瞬だけ姿を隠すことが出来れば、確かにこれが現在最良の方法だろう。
「確かにイケそうだけどよ、お前等はどうすんだ? その場合は片方は生身じゃねぇか」
 隣り合って座る双御沢兄妹に視線を向け、疑問を口にする竜斗。
 鏡佳と空弥は、特例中の特例で二人の勇者が一体の幻獣と契約している。
 幻獣に同化する際には大した問題はないのだが、幻獣が一体ということはその力を鎧として纏えるのはどちらか一人というわけだ。
「俺が先に出よう。俺の速度なら、周囲に気付かれずに鏡佳を連れ出せる」
「あ・・・兄さん・・・・」
 それは、ここに来て空弥が自己紹介以外で初めて口を利いた瞬間だった。
「それに鏡佳なら、上手く注意を反らせるだろう」
 その言葉は果たして、鏡佳を信頼してのものか、それとも一秒でも鏡佳を戦場に立たせたくないという気持ちからなのか。
「お・・・おう! んじゃ、全員集まれた時はそれで決定だな」
 空弥の突然の発言に皆が唖然とする中、竜斗は一人早く正気に戻って話をまとめる。
「・・・あ、はい、了解です」
「うん、分かった」
 竜斗の言葉に正気を取り戻した碧と黄華が、思い出したように返事をする。
『より良い策が出来るまでの繋ぎだが、問題ないだろう』
『オッケ〜、碧ちゃんも折角彼と連絡取れるようになったしねぇ』
『私も了解しました』
『ああ、我も問題ない』
 幻獣達も口々に応え、この話題は終了と見て良いだろう。
 その雰囲気を察したのか、空弥がスッと立ち上がる。
「そろそろ休み時間も終わる。俺は教室へ戻るぞ」
「待って兄さん、私も行く。 皆さん、お先に失礼します」
 そう言って一人先に生徒会室を出る空弥と、竜斗達にペコリとお辞儀をしてそれを追う鏡佳。
「なんだ、まだ時間あるだろ」
 僅かに急ぎ足で生徒会室を去った二人に疑問符を浮かべる竜斗と、それを見て思い出したと呟く碧。
「今日はJ組、合同授業の日ですよ」
 碧の言うJ組とは、各学年10クラスある高等部の端のクラスであり、スポーツ特待生を集めたクラスのことだ。
 陸上の特待生として八雲学園に招かれた双御沢兄妹は、当然このJ組に入学・編入している。
 特待生の中には勿論ずば抜けた才能で現高等部3年を凌ぐ新入生も存在し、学年とはあくまで何年間のカリキュラムを終えているかだけの数字でしかなく、力の優劣を決めるものではない。
 という余りにも世間一般から見れば異常とも思える授業体系だが、全国から精鋭を集めた八雲学園ではそれこそが日常ふつうなのだ。
 ただし特待生というだけあって人数は他のクラスより少なく、その分授業も体育を重点に置いた時間割が設定されている。
 その中でも、特筆すべきは月・金曜日の午後に設定される3学年合同授業だ。
 学年を完全に無視したメンバーで様々なスポーツ競技を行い、個々の能力だけでなく団体でのスポーツに必要なあらゆる技能を修得することが目的だ。
 補足すると、こういった知識は八雲学園では常識の範疇なので、決して碧が生徒会長だから知っていたというわけではない。
「そ、そっか・・・そういえばそんな日だったな」
 声が震えている、どうやら竜斗は全く知らなかったようだ。
 ちなみに竜斗や碧のいるC組はA・B組と合わせてエスカレータークラスであり、中等部からの自動進学の生徒が集まっている。
「お兄ちゃん、知らなかったの?」
「な、何言ってんだよ。これでも小学校からこの学園にいるんだぜ、あはははは・・・・」
 ジト〜っと疑わしげな視線を送る黄華を、竜斗は空笑いで誤魔化す。
 誤魔化しついでに椅子から立ち上がり、時計に視線を向け口を開く。
「さてと、俺達も戻るか」
 ずっと座っていたのが堪えたのか、竜斗は大きく伸びをする。
「あ、戸締りしていきますので、先に行っててください」
 席を立ち、机を片付けたり窓を閉めたりと戸締りを始める碧。
「あのな、それくらい手伝うって」
「アタシも手伝うよ、そしたら皆で戻れるし」
 相変わらず人に頼ることが苦手は碧に、竜斗と黄華が苦笑いしながら手を貸す。
「あぅ、すみません。ありがとうございます」
 恥ずかしそうに縮こまりながら言う碧に、二人はもう一度苦笑いするのだった。






 気付けば、竜斗は見覚えのある真夜中の住宅地に立っていた。
 何の変哲も無い、ありふれた普通の家が立ち並ぶ夜の街。しかし、そこは八雲学園ではない別の場所だと窺える。
 八雲学園自体まだ歴史が浅く、どの家を見ても築20年が良いところだ。
 だが竜斗の視界に広がる住宅地には、所々に年代を思わせる古い建築が見て取れる。
(ああ・・・・ここ、昔俺が住んでた町だ・・・・・)
 竜斗は思い出す。まだ龍造に引き取られる前、両親と3人で暮らしていた時の事を。
 最早自分の家が何処にあったか、どんな地名の町だったかも思い出せないが、その住宅地は間違いなく幼い頃に見慣れた風景だ。
(それじゃ・・・、これは・・夢・・・か・・・・)
 自分は既に高校生で八雲学園に通っていると認識し、今自分が夢の中にいることも理解でいる。
 エスペリオン達幻獣と出会うことで珍しくもなくなってしまったが、これは明晰夢≠ニ呼ばれるモノだ。
 夢だと解りつつもつい懐かしくなり、竜斗はもう10年も見ていなかった風景を歩き出す。
(懐かしいな・・・・なんか、どんどん思い出してきた・・・・)
 歩みに合わせて進む風景に、竜斗の記憶から幼い頃の出来事が蘇る。
(ここ、良く母さんと買い物に行った道だ・・・・)
 角を曲がり、別の道に入る。
(ここは、仕事から帰ってくる父さんを迎えに行った道・・・・)
 思い出し、不意に竜斗の胸に言い知れない嫌な予感が走る。
 それは、言うなれば初めてお化け屋敷に入ったときの様な感覚。
 そこに見たくない物、恐怖を感じる物があるのに、見に行かずにはいられない不思議な気持ち。
 だがそれに気付いた時には、竜斗は自分の身体が言う事を聞かず勝手に歩みを進めていく。
(なんだ・・・・何があるって言うんだ?)
 正直怖い。そこには絶対に見てはいけないものがあると、心が、記憶が警報を鳴らしている。
 そうしている内に、誰かが竜斗を追い抜いていく。
 まだ小学生になって間もないような、小さな子供だ。小さい頃の、竜斗自身だ。
(おい、何処に行くんだよ・・・?)
 空を見上げれば、既に月は真上よりも傾き、真夜中を指す時間である事を告げる。
 だが竜斗の記憶の中に、こんな時間にここを通った記憶はない。
 本来ならもっと早い時間に父・龍麻が帰ってくるので、それに合わせて母・まどかと一緒に迎えに行ったはずだ。
(待てよ、おいっ?!)
 見失った自分の背を追い、竜斗は無意識に走り出す。
 だが所詮は子供の足、直ぐに背中を発見し直ぐ後ろに追いつく。
「父さん、まだかな?」
 幼い自分が発する言葉に、やはり父・龍麻を迎えに来たのだと察する。
 ではやはりただの夢なのか。もし竜斗の記憶だというなら、こんな印象的な日を忘れているはずが無い。
 だが竜斗の頭の中で何かが叫ぶ。これ以上行くな、この先はダメだ、と。
 まるでこの続きを知っているかのように、無意識にこの記憶を拒絶するように。
「あ、父さん!」
 その声を聞いた瞬間、竜斗の心臓がギクリっと跳ね上がった。
 父・龍麻を見つけた幼い自分の声に、竜斗は頭に響く警報も忘れて視線を動かす。
 そこには10年前に見失った父・龍麻の後姿があった。
 仕事帰りでスーツ姿なのだが、何故か背広は道端に投げ捨てられており、その右手には月明かりを反射する一振りの刀が握られている。
 その姿にまた、竜斗の心臓は大きな鼓動を打つ。
「竜斗ッ?! ダメだ、来るなぁぁぁっ!!」
 幼い竜斗に気付いた龍麻が、焦りと驚愕を露に叫ぶ。
 だが竜斗は、僅かに振り向いた龍麻の向こう、今まで龍麻の影になって見えていなかった場所にもう一つの人影がある事に気付く。
 そのシルエットは人のモノ、しかし今の竜斗が目を凝らして見ればそれが如何に異形かが理解できる。
 その人影は見るだけで不快感を覚えるような黒光りする不気味な形状の鎧を纏い、兜とは別に額から天を突く2本の角が生えている。
 竜斗はその正体を知っている。邪鬼に心を侵された人間、人鬼と呼ばれるこの人の世で最も醜き異形である。
 だが龍麻と対峙するその人鬼は、竜斗の知るそれよりも限りなく人に近い姿をしている。
 竜斗の知識の中でその姿に符合するのは、邪戦鬼の存在だ。
 邪戦鬼は本来破壊衝動という本能しか持ち得ない邪鬼が、理性と知能を得て高みを目指した存在である。
 その理性の表れとして、極力人の姿を保っているのかもしれない。
「逃げろ竜斗ッ!!」
 龍麻の叫びが、再び竜斗の思考を外へと向ける。
「愚かな・・・・」
 竜斗の視線が龍麻の姿を捉えた次の瞬間、地獄の底から響くような声と共に視界の一部が赤い飛沫に染め上げられる。
「「父さんっ?!」」
 その場に居合わせる二人の竜斗は、同じタイミングで龍麻を呼ぶ。
 それと同時に、竜斗の頭にまるで奔流の様な記憶がなだれ込む。
「・・・・竜斗・・・逃げろ・・・・っ!」
 力ない龍麻の声を最後に、竜斗の意識はプツリっと途切れ夢の世界から引き離されていく。
(父さん! 父さん! 父さん!)
 必死に父に呼びかけるが、夢の登場人物が応えるはずも無く、ただ空しく響くだけだ。
(父さん! 父さん! 父さん!)
 だがそうと解っていても、竜斗は叫ぶ事を止める事など出来なかった。
(父さん! 父さん! 父さん!)
 その日の出来事を悔いるように、出来るものならば過去を変えてしまいたいと願いながら。
(父さん! 父さん! 父さん!)
 必死に、ただ必死に叫び続ける。
「父さぁぁぁんっ!!」
 叫び、竜斗は机に突っ伏していた上体を跳ね起こした。
 同時に教室中の視線が、竜斗に殺到する。
「・・・・・・・・」
 無言の視線が竜斗を刺し、これでもかと居心地を悪くする。無論、その中には碧もいるわけで。
「・・・あー」
 言葉も出ない。授業中に居眠りをしていただけならまだしも、夢を見て大声で叫んで起きるなど、漫画やアニメだけだと思っていたのだろう。
「・・・・紅月くん」
 不意に教卓の方から聞こえる青年の声に、竜斗だけでなく教室中の視線が移動する。
 ただいまの授業は現代国語、このクラスを担当しているのは今年の新任教師の八雲 恭也(やくも きょうや)である。
 長身で眼鏡を掛けた一見おっとりとした雰囲気の美青年で、学園中の女子に人気があるというのはお約束。
 さらに生徒に対してはとても親身になってくれるので、男子にも絶大な人気を誇るスーパー先生である。
 たとえ居眠り生徒が大声で授業を妨害しても、決して笑顔を崩さずに優しく手を差し伸べてくれるのだ。
 ちなみに、八雲学園学園長・八雲 漸空(やくも ぜんくう)の一人息子であり、苗字が学園名と同じという事で生徒からは恭也先生≠ニ呼ばれている。
「えっと・・・すんません、恭也先生」
 椅子から立ち上がり素直に頭を下げる竜斗に、恭也はやはり笑みを崩さず話しかける。
「今、剣道部が大変なのは、紅月くんが人一倍努力していることも含めて理解しているつもりです。授業中に眠ってしまうのもある程度は許容しましょう」
 一度言葉を区切り、すっと視線を下にずらす恭也。
「ですが、大声で授業を中断までしては、一教師として何かしらの罰を与えなければなりません」
 何処から出したのか、恭也は唐突にバケツを二つ床に置き竜斗に向き直る。
 良く見ればバケツには並々と水が入っているが、彼は今これを軽々と持ち上げていたのは気のせいだろうか。
「これを持って廊下で反省しているように、良いですね」
「はい、すんません」
 実に古典的な体罰ではあるが、これはこれで居心地の悪い教室から避難させてくれる恭也なりの心遣いである。
 それを理解して、竜斗も素直にそれに従う。
 机に立て掛けていた木刀袋を脇に挟み、教卓の前に置かれたバケツを持ち上げる。
 両手にズシリと圧し掛かる重みに表情を歪めながらも、竜斗は独り廊下に出て授業終了を待つのであった。






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