その時、青年は妹である少女に一つの約束をした。
「強くなれ、強くなって斗う竜≠護れ。そうすればいつか俺に会える」
少女の頭を撫でながら優しく囁く青年に、少女は泣き腫らした目に強さを見せる。
「たたかう……りゅう=H」
兄の言葉を理解できない少女は、自分でその言葉を言い直し理解しようと試みる。
「そしたら、またアタシと勝負してくれる?」
青年のカッコ良さに惹かれ始めた格闘技、今の目標は兄を倒す事だ。
「はは、そうだな、それも約束するよ」
優しいが安心感を与える強さを持った微笑、青年はそんな強さを持っていた。
「いいな、斗う竜≠護るんだ。そしたらまた会おう、約束だ」
そう言って少女に背を向けた青年は、先の全く見えない闇の中へと消えていく。
「お兄ちゃん、何処行くの? 待ってよ、アタシを置いていかないで!」
見えなくなる兄の背を必死に追いかけ、少女は喉が枯れるほど叫んだ。
「強くなるから! 約束するから! だからアタシを独りにしないでぇ!」
どれほど走っても、どれほど呼んでも、兄の姿を見つける事は出来なかった。
「約束だ……」
その言葉を最後に、青年は姿を消した。
「お兄ちゃん!」
叫ぶと同時に上体を起こした少女、壬生 黄華(みぶ おうか)は全身に気持ち悪い汗を感じ顔を顰めた。
辺りを見渡し自分が道場のど真中で寝転んでいるのを自覚する、場所は黄華の部室である八雲学園第四武道場だ。
どうやら部活動の後に自主練をしていたら、いつの間にか眠ってしまったようだ。
「……嫌な夢」
黄華は立ち上がると自分の荷物を置いてある壁際まで歩き、鞄からタオルを出して汗を拭う。
あの日、兄の失踪した日以来黄華は、兄との約束のため自分を鍛え続けている。
あらゆる格闘技を学び、更に自分を鍛えるためにこの八雲学園に入学した。
だがどれだけ自分を鍛えても、兄の言葉の意味は解らないまま。
「お兄ちゃん、アタシ強くなれたのかな……」
そう呟く黄華の耳に、開けっ放しにされていた道場の窓から誰かの話し声が飛び込んできた。
「よし、ここなら誰にも見られねぇ」
「急ぎましょう、竜斗さん」
「ああ、いくぜ碧」
声の雰囲気からしてかなり急いでいるようだが、こんな所で何をしようというのか。
ふと視線を窓の外、八雲学園第五運動場へと向ければ、そこには日本刀を地面に突き立てる少年の姿。
「「幻獣招来ッ!!」」
少年と少女、二つの声が同時に叫ぶと、地面から巨大なドラゴンとペガサスが飛び出した。
「っ?!」
声を上げる暇もなく空へと飛び立った巨大な獣たちを、ただ呆然と見つめる黄華。
「……いた」
不意にポツリと呟く黄華、その瞳に映るのはドラゴンを召喚した少年の姿。
あのドラゴンは最近街を襲った巨大な鬼を退治した、エスペリオン≠ニ名乗る斗う竜≠セ。
「斗う竜≠ヘ、近くに…いた……!」
幼い頃兄に幻獣≠フ存在を教えられていた黄華は、エスペリオンがその幻獣だと直ぐに理解したが何処を探そうとも見つける事は出来なかった。
だが偶然か必然か、黄華はその在りかをその目で見た。
幻獣を召喚する少年、紅月 竜斗の姿を。
剣道部の紅月 竜斗は高等部でも、特に武道系の部活では意外と名の知れた方だ。
勿論黄華も、その顔と名前が一致するくらいには知っている。
「もう直ぐ、もう直ぐお兄ちゃんに……会える」
竜斗の名前と斗う竜≠フが一致した時、黄華の中で新たな歯車が動き出した。
勇者幻獣神エスペリオン
第5話:『約束』
月曜日の朝、八雲学園の剣道部に割り振られた第一武道場こと剣道場に今日も激しい稽古の音が響いている。
時間的にはそろそろ切り上げないと授業に遅刻してしまいそうだが、ある二人だけは未だにフル装備で竹刀を交わしている。
剣道部部長、鳳凰寺 赤(せき)と剣道部の双刀の一刀、高等部エースの紅月 竜斗だ。
「紅月、そろそろ時間だな」
「はい、次でラストッスね」
一端お互いに距離を取ると、二人とも呼吸を整え竹刀を構え直す。
次の一刀が勝負、打算的な勝ち負けの意識を振り払い、ただその一太刀に全てを込める。
昨日は技の不発で破れた竜斗だが、今日も同じ技で仕掛けるつもりでいる。
紅月流・連月は紅月流では珍しい二つの太刀を放つ技、一太刀目で相手の武器を破壊し無防備な状態を作り、その太刀の威力が残っている間に第二の太刀を持って止めを刺す。
決まればこの上ない必殺技になるが、失敗すれば一太刀目と二太刀目の間が無防備になる危険な技でもある。
実は先日の炎狼鬼との戦いで成功時の感覚を得た竜斗は、少しは完成に近付けるとこの稽古の時に練習しようと考えている。
龍造に稽古相手を頼めば、まだ早いと一蹴されるのが目に見えているからだ。
着替えを終えて観戦している他の部員でさえ息をするのも忘れそうな張り詰めた空気の中、どちらからともなく二人の剣士が足を踏み出した。その時……
「見付けたっ!!」
道場の入り口の方から、突如として少女の声が響く。
道場内にいた者全てがそちらに気を反らされ、踏み出した勢いのまま竜斗と赤がぶつかる寸でのところでバランスを崩す。
二人とも何とか踏ん張って事なきを得たが、勝負はうやむや、これではやり直す時間も闘志もない。
「誰だよ、人の勝負邪魔しやがって」
不完全燃焼な試合に苛立ちを隠さずに声を荒げる竜斗、道場の入り口に視線を向けるとそこには高等部の制服を着た小柄な少女が只ならぬ表情でこちらを見ている。
「あれは……格技部の壬生だな。剣道部に試合でも申し込みに来たか」
いつの間にかちゃっかり正座して防具を外している赤は、やはりどこか不満げな表情を浮かべている。
「格技部ってーと、あの?」
正式名称・八雲学園異種格闘技部、主に喧嘩や我流で腕を磨いた者達が固定の枠に納まることなく自分の力を振るえる場所として生まれた部活。
部活内のルールは至って簡単、殺さない事、それだけである。
武道でもなく、スポーツでもない単に戦う術だけを持った者達が互いをぶつけ合うには十分な場所である。
怪我をするのは大前提、それが怖いなら入部はお断りといった成立したのが不思議な部活だ。
しかし、中には部活内の試合だけでは満足せず、別の格闘系の部活を相手に試合を申し込む者が現れた。
早い話が学園内道場破りである、部活だけでも相当な数がある八雲学園は、レベルも高くそういった試合にはもってこいなのだ。
「ああ、間違いない。今年の格技部の高等部一年、徒手空拳を主体とする壬生 黄華だ。かなり強いと評判だが?」
こんな学園だけ合って、不思議と色々な情報が部活同士の特殊なルートで飛び交うもので、赤もそういった噂から色々知ったのだろう。
赤の解説が終わる頃を見計らったのか、少女、壬生 黄華は竜斗の前まで早足で進み出る。
「アンタが斗う竜≠ヒ、紅月 竜斗」
何の前振りもなく唐突にそう言い放つ黄華に、竜斗は唖然と口が開いたまま固まってしまう。
「……えっと、何言ってんだ?」
確かにこんな事をいきなり言われて、普通はYESともNOとも答えれないだろう。
だが竜斗の中には斗う竜≠ノ符合するキーワードをがある、エスペリオンというキーワードが。
それでも普通はそんなことを仲間以外の者が知っているはずもないという先入観があり、残念ながらこのときばかりは素で疑問符を浮かべていた。
「とぼけないで! 昨日見たんだから、放課後に第五運動場で……」
「紅月、そろそろ予鈴が鳴るぞ! 早く着替えろ!」
黄華が言葉を続けようとするところを、遠くから響く赤の声が強引に割り入って遮る。
「あ、はい! ってことだ、悪いけど話ならまた今度な」
言うが早いか、竜斗は壁際まで逃げるとさっさと着替えを始める。
「お前も早く教室へ行け、遅刻するぞ」
「アタシには、それよりも重要の事があるの」
言葉静かに威圧を放つ赤に、それでも一歩も退かない黄華。
「んじゃ赤先輩、お先失礼します」
黄華が赤と睨み合っている横をそそくさと通り過ぎる竜斗、同時に学園全体に予鈴が鳴り響く。
「あ、待って!」
呼び止めようと声を上げるが、そんな黄華の行動も空しく竜斗の背中は高等部の校舎の方へと消えていく。
ちなみに赤がゆっくりしているのは、今日は一限目の授業は入っていないかららしい。
「……邪魔しないで」
赤を睨みつけながらそう言い放つ黄華は、竜斗を追う様に高等部の方へ走り出した。
遅刻せずにHRに出席した竜斗は、先程のことを碧に話していた。
「すみません、私がもっと回りに気を使っていれば……」
「それは碧の所為じゃねぇって、見られたモンは仕方ねぇし」
竜斗としては見られた事よりも、黄華の情報が知りたくて碧に話したのだが、碧は見られた事に対して竜斗に平謝りしていた。
「それよりもその壬生ってヤツの事、なんか分からねぇか?」
強引にでも話題を変えないと謝り続けそうな碧に、竜斗は単刀直入に本題を切り出す。
「えっと、壬生 黄華さん……ですよね? ココの一年生で異種格闘技部所属、お父さんが八雲学園に出資してる財閥の会長さんなんですよ」
特に資料を開いたりするでもなくスラスラと話す碧に、竜斗の中で一つの不安が浮かび上がってくる。
「なぁ、あいつって……結構有名人だったりするか?」
「はい、壬生財閥は会長が学園内に住んでいる事で学園の出資者としてもかなり有名ですよ。その一人娘な上あの格技部に所属していれば、噂も色々と」
基本的に自分で見たものしか信用しない竜斗は、噂などは右から左で聞き流してしまう傾向がある。
そのためかこういった噂にも疎く、流行などにも非常に鈍い。
その理由の一つとして、剣術修行ばかりしていたというのもあるのだが。
「そんなヤツが、どうして俺に突っ掛って来たんだか」
幻獣に興味がある程度なら、むしろ実力行使でも追い返す必要がある。
だが仮に何か幻獣と、又は幻獣勇者と接点を持つ者ならば、それ相応の対応をしなければならない。
「なんにしても、見られてしまったんですから一度話してみないといけませんね」
やや不安げに言う碧に、竜斗も僅かに不安を感じる。
だが男としてここは確りすべきだと、暗い表情を隠し碧に笑いかける。
「んな顔するなって、もし必要なら俺が何とかするから、な?」
「……はい、そうですね。まずはもしもの時の対策を考えないと、ですね」
竜斗の言葉に、碧の顔から暗さが抜け笑顔が戻る。
だがそんな事にほっと安堵する竜斗も、やはり結局はまだ何も思いついていないわけで。
「さて、どうしたもんか。あの調子だと次の休み時間には教室にまで来そうだよな」
遅刻も何も関係なく剣道場に来た黄華を思い出し、つい廊下に来ていないだろうかと確認する竜斗。
「……って、おぅわ?!」
窓から顔を出して廊下を覗いた竜斗の視界に、見つけたと言わんばかりの表情で駆け寄ってくる黄華の姿が映っていた。
「おいおい、もう授業始まるぞ」
そう言いつつもつい逃げる準備をし始める竜斗に、戸惑いの表情を浮かべる碧。
「竜斗さん?! あの、授業は…?」
「それ所じゃねぇみてーだ、あっちもかなりマジだし」
元々大して荷物を持っていない竜斗は、鞄だけ引っ掴むと黄華が来ているのと反対の方向のドアへと向かう。
「碧、悪ぃけどまた今度ノートとか見せてくれねーか?」
教室を出る前に一言だけ碧に伝える竜斗は、黄華が入ってくるタイミングを見計らって反対のドアに手をかける。
「はい。ノート、取っておきますね」
「ああ、助かる」
竜斗が碧に返事をした辺りで、竜斗がいるのとは反対側のドアが開かれ、そこに黄華の姿が見える。
「んじゃ、また後でな」
黄華が自分を探すのに教室を覗き込んだ瞬間、同時に竜斗はドアを開け教室を飛び出す。
「っ?! 今度は逃がさないんだから!」
後ろから黄華の声が聞こえるが、そんな事は気にせず廊下を駆け抜ける竜斗。
「さーて、どこに逃げるかな」
逃げ続ける訳ではないが、話せる状態を作るにはある程度ひと気のない所でなくてはならない。
そうなると目的地を作って逃げなければ、上手く事を運ぶ事も出来ない。
そう考えてまず最初に頭に浮かんだのが、何故か第一部道場こと剣道場だった。
あそこなら人が来ることはないだろうし、いざという時には腕ずくで、ということも出来る広さだ。
「流石に、もう先輩もいねぇよな」
そんな事を漏らしながら剣道場を覗き込む竜斗は、その中に誰もいないのを確認して安堵の溜め息を吐く。
(ここで黄華の真意を試す、話すかどうかはその後だ)
正直な話竜斗とて関わらなくて良いものならば、極力誰も巻き込みたくはない。
本来なら碧も戦いになど巻き込みたくない。しかし碧の意志は強く、確固たる想いの元戦う道を選んだ。
それは他人がとやかく言う事ではないし、竜斗自身それを受け入れた。
竜斗は黄華にも碧と同じだけの強さがあるかを確かめるつもりなのだ。
「やっと追い付いた、もう逃がさないんだから!」
剣道場に駆け込んで来た黄華は、まるで竜斗を仇のように怒鳴りつける。
対して竜斗は、待っていたとでも言うように黄華に向き直る。
「まずは自己紹介でもして貰おうか。俺は紅月 竜斗だ」
手には木刀を握り明らかな敵意を向ける竜斗に、黄華も負けじと拳を握りしめる。
「アタシは壬生 黄華。大事な約束のために幻獣勇者の、アナタの仲間になりたいの」
伏せている部分もあるが自分の目的をはっきりと告げる黄華、その瞳には確かに強い決意が見えた。
「何で幻獣の事を知ってるかはこの際置いとくとして、仲間になりてぇってのはどういう事だ?」
竜斗の言葉も尤もだ。いきなり仲間になりたいと言われても、桃太郎のようにほいほいと仲間になど出来るモノではない。
竜斗はそれを求める黄華の想いが知りたいのだ。
「約束したの……」
ボソリと呟き黄華は、竜斗が返事するよりも速く次の言葉を話す。
「強くなって斗う竜≠護れば、いつかまたお兄ちゃんに会えるって……。だからアタシは強くなった!」
叫び黄華が迷わず竜斗に拳を繰り出す、その拳が当たれば自分でもひとたまりもない事は竜斗にも容易に想像出来た。
「けど……」
小さく呟く竜斗はそれを難なく避け、構えもせずただ黄華の方に向き直る。
「はぁっ!!」
竜斗に何度も何度も拳や蹴りを繰り出す黄華、しかし竜斗はそれを全て一切木刀を使わずに避けるだけに徹する。
「くっ、ちゃんと戦ってよ! それとも先輩面するつもり? 馬鹿にしないでっ!!」
一切攻撃をしない竜斗に罵声を飛ばしながら、一心に攻撃を続ける黄華。
しかし竜斗は涼しい顔で、徐々に疲れを増していく黄華を黙ってみている。
それからだいたい五分程して、黄華の息が切れたところで竜斗が口を開く。
「自分の力を証明したかったなら、今のは逆効果だな」
「はぁ、はぁ、はぁ、どういう……ことよ?」
距離を取られ大きく肩で息をする黄華が、鋭い視線で竜斗を睨む。
「解らねぇか? お前は弱いんだよ、ちっとも強くねぇ。お前は今、それを俺に見せたんだ」
まだ修行中の竜斗とて武道を修める者、真の強さが何たるかは理解しているつもりだ。
なぜなら竜斗自身もまた、その真の強さを求めて修行を続けているのだから。
「まだまだ未熟な俺だけど、そんな俺から見てもお前は弱い。お前の求める強さなら、碧やウチの剣道部の連中の方がよっぽど上だぜ」
言い終ると竜斗は、突き放すような雰囲気で黄華に背を見せる。
「今のお前は兄貴に会いたくて、その近道に拳を振るってるだけだ。そんな拳捨てちまえ」
最後にそう吐き捨てると、竜斗は黄華を置いて剣道場を後にする。
『いいのか、竜斗』
手にしている木刀から発せられるエスペリオンの声に、未だ何かを待っているような表情を見せる竜斗。
「最初に顔見た時から、このくらいは予想してた。問題はココからだ」
黄華は方向性を誤っているだけで、その意志の強さは目を見張るモノがあった。
「このくらいで諦めるなら、元から邪鬼と戦うなんてのは無理だ。素質はあるみてぇだし、後はそれがどうなるか、だな」
コレばかりは何とも言えないとばかりに肩をすくめ、竜斗は次の授業までどうやって時間を潰すかと思考を巡らせた。
二限目から授業に出席した竜斗は、流石に直ぐには来ないだろうと高を括っていた。
しかし、黄華は竜斗の思っていた以上に頑固(?)であった。
授業終了のチャイムで教師が教室を出てから、ほんの一分もしない内に教室のドアが開く。
「竜斗、いる?」
なんの遠慮もなく教室に入ってきた黄華は、竜斗の姿を探して視線を巡らせる。
「お、なんだ紅月、一年にまで手を出したのか?」
「おいおい、ただでさえクラスメートで目立ってんのに」
「獅季が入院してから、そういうの目立ってるぞ」
クラスメートの冷やかしが、自分の席で居眠りしていた竜斗を起こした。
「んぁ? ……なんだ?」
だがその冷やかしが黄華に竜斗の席を教え、黄華が教室に入ってくる。
「……黄華、ってもう来たのか?!」
まだ半分寝かけだった竜斗の思考が、黄華の姿を見た途端に覚醒する。
居眠りをしていて果たして出席したと言い切れるかは謎だが、そんな事よりも黄華が教室に来た事の方が重大だ。
「アタシ、絶対諦めないから。竜斗が頷いてくれるまでなんだってする」
教室中の視線を集める中、黄華はそんなものは見えていない風に言葉を続ける。
「だからお願い、今のアタシに足りないモノ、教えて!」
教室には授業が終わったばかりでクラスメートのほとんどが居る。
そんな状況でこんな話をされてはあらぬ噂が立ちそうだ。
しかし悲しいかな、竜斗の席は窓際だ。よって一度こうして詰め寄られるとどうにも逃げ道がなくなる。
「と、とりあえずココじゃマズいからさ。外、行こうぜ……」
全身に冷や汗を感じながら何とか返事をする竜斗、しかし黄華はやはり周りなど気にならない風で竜斗の肩に掴みかかる。
「誤魔化さないで! アタシどうしても……」
そこで黄華の言葉を遮るようにして竜斗が、ガラガラガラッ! っと後ろの窓を開いた。
「はぁ、逃げるしかないだろ!」
そう言って竜斗は、座っていた椅子を蹴るようにして真後ろの窓の外に飛び出した。
窓の上の縁を掴んで着地前に態勢を立て直すと、竜斗は迷わず廊下を走り出した。
「っ?! 絶対逃がさないんだから!」
突然の事に一瞬戸惑ったが、黄華も同じように窓から教室を飛び出し竜斗を追う。
それからというもの、流石の黄華も授業中は不味いと判断したのか、その分休み時間になれば必ず竜斗の前に現れるようになった。
昼休みでさえ例外ではなく、竜斗は見事に昼飯を食べ損ねたのだった。
(く、くそぉ…腹が……)
昼飯を食べず、更に普段以上の運動量。六限目を迎えた竜斗の空腹はいい加減限界だった。
こうなったら部活直前に弁当を食べるしかない、しかしそれさえも時間があるか不安なところである。
(諦めるとは思わなかったけど、ここまでしつこいとは)
予想外の状況に思わず苦笑を漏らしながら、もし状況が同じなら自分でも同じ事をしていたかも、などと考えてみる。
ちらっと黒板の上に設置された時計に目をやると、針は授業終了まで後わずかを指している。
(今日は掃除当番じゃねぇし、部活までの時間はざっと三〇分ってトコか)
その間に黄華から逃げ切り、弁当を食べ、部活の準備をせねばならない。
竜斗の視線が、再び時計へと向けられ、その秒針に集中する。
(5……4……3……)
八雲学園の時計は驚くほど正確に合わせられているので、一秒たちともズレることはない。
普段は気にも留めない当り前のことだが、こういった状況では非常にありがたいモノだ。
(2……1……)
キーンコーンカーンコーン! というお決まりのチャイムが鳴り、教師の口から授業終了が言い渡される。
日直の号令が終わると同時に竜斗は既に用意しておいた鞄を引っ掛けて、二時間目の休み時間同様窓から教室を飛び出す。
後ろで教師が呼び止めていた気もするが、今の竜斗には全く聞こえない。
目指すは屋上、八雲学園の屋上は基本的に立ち入り禁止でもなければ鍵がかかっていることもない。
ただ、不思議と誰も上がろうとはしないため、隠れるのには打って付けなのだ。
「ふぅ、やっと落ち着けるぜ」
重い音を立てて閉じる鉄製の扉に背を預け、その場に腰を下ろし溜息を一つ吐く。
そうしてからいそいそと鞄を探り、中からそこそこ大き目の弁当箱を取り出す。
「いただきます、っと」
手を合わせ食前の挨拶。普段はいい加減な竜斗だが、こういう所は変に真面目である。
自分で作った弁当ではあるが、やはり弁当箱というのは蓋を開けるのに楽しみを感じる。
(俺って、ガキっぽいかな?)
そんなことを考えながら竜斗が弁当箱に手を触れた瞬間、突如として空が黒い雲に覆われていく。
「…………」
竜斗から言葉が消え、代わりに竜斗の第六感とも言うべき感覚が、邪鬼の気配を無数に察知していた。
『竜斗……』
最近は今まで以上に常に持ち歩くようになった木刀から、同情の響きを持ったエスペリオンの声が発せられる。
「……何も、言うな」
哀愁漂う竜斗が、僅かに震える手で必要以上に丁寧に、まだ蓋すら開けていない弁当箱を仕舞う。
『竜斗、この気配は人鬼(じんき)だ。だがこの数は尋常ではないぞ』
竜斗の気を反らすべく、エスペリオンが戦闘の話を持ちかける。
「ああ、解ってる。気配は商店区の方からだな」
人鬼とは邪鬼の氣によって邪鬼へと変貌した人間を指す言葉で、その気配が商店区からしたという事は街の人間が邪鬼に変貌したとほぼ同義だ。
「飯なんて食ってる場合じゃねぇ、いくぞ!」
竜斗の手にする木刀が光を発し、竜斗の愛刀・紅竜刀へと変化する。
『今回は白兵戦になる、あの力を使うんだ』
「おしっ、夢幻一体ッ!!」
鞘に納まったままの紅竜刀を屋上に突き立てると、エスペリオンを召喚する際に現れる魔法陣の縮小版が竜斗の下に展開する。
魔法陣は竜の様な光を放ち、竜斗の体を包み込む。すると竜斗の身体は、紅を基調とした竜を象った鎧に包まれる。
これは先代までの本来の幻獣勇者の姿、幻獣の力のみを身体に宿し武器や鎧に変化させるのだ。
エスペリオンからその事を聞いた竜斗は、碧の時の失態から正体を隠す事も含めてこの姿を扱えるようにしていたのである。
この姿は単なる防御のためだけの鎧ではなく、身体能力を向上させるなど非常に使い勝手のいい物だ。
本来ならこの姿のまま鎧竜を装着する事も出来るが、現状それは無駄に体力を消費するだけなのであえてこのまま戦場に向かう。
「碧も追いつくだろうから、それまでに出来るだけ片付けるぜ!」
屋上から迷いもせず飛び降り、商店区まで一気に駆け抜ける。
竜斗の感じる気配から人鬼の数を特定することは出来ない、それだけ敵の数が多いのだ。
『油断するな、恐らく戦場にいるのいは人鬼だけだ。持久戦になるぞ』
「へっ、そのくらいは覚悟の上だぜ。 剣道部で鍛えた超絶体力を見せてやる!」
五分もしないうちに到着した商店区の中心、そこは既にこの世とは思えない状況だった。
「グルルウルルルゥ……」
「コロスコロスコロス……」
「ウグガァァァァァッ!!」
視界一面に映る人ならざる者、この数をただ一掃するだけならどれほど楽だろうか。
しかし幻獣勇者の戦いは殺す事ではなく、邪鬼に変貌した人間を助ける事も目的の一つだ。
この戦場にいる邪鬼の、たった一人でも殺す事は出来ない。
邪鬼の象徴たる角を砕き、確実に人間に戻さねばならない。
「すぅ……、いくぜっ!!」