八雲学園の最東端に位置する小高い山、降流山(こうりゅうさん)の頂に門を構える紅月剣術道場。
 そこでは日曜日だというのに、朝から激しい稽古が行われていた。
 片や剣道着姿の少年。この道場の唯一の門下生にして、紅月流を継ぐ立場にある紅月 竜斗。
 片や同じく剣道着姿の小柄な老人。竜斗の師であり祖父でもある、この道場の師範の立場にある紅月 龍造。
 二人は竹刀を手に打突ありの互角稽古を、もうかれこれ一時間近く続けている。
「っのぉ!!」
「当たらんわい、ほっほっほ♪」
 竜斗の繰り出す斬撃は、流れるような体捌きをする龍造にことごとく避けられる。
 しかし互角稽古とは言うものの、竜斗が一方的に龍造に攻撃を仕掛けるだけという、むしろ掛り稽古に近いモノになっている。
 竜斗が繰り出すのは紅月流の基礎中の基礎、右肩に担いだ竹刀を袈裟懸けに振りぬく鋭月。
 竜斗の放つ鋭月は、振りの速さや力、それに踏み込みの鋭さや間合いは並みの高校生を遥かに上回っている。
 にも拘わらず龍造はそれを容易く避け、尚且つからかう様にちょっかいを出している。
「修行が足らんのぉ、竜斗」
 反復練習の様に繰り出し続ける竜斗の鋭月をかわしつつ、龍造が一人納得したように「うんうん」と頷く。
「こんな太刀筋では鋭月とは呼べんな、さしずめ鈍月(どんげつ)とでも言おうか」
 そう言って竜斗の神経を逆撫でする高笑いを上げる龍造、その姿に竜斗の怒りが限界を超えた。
「クソジジィ、これならどうだよっ!!」
 鋭月を避けて距離を取った龍造に対して、竜斗が身体を一回転させて踏み込み遠心力を得た竹刀を振るう。
 炎狼鬼との戦いで見せた技、紅月流・月華だ。
「……愚か者」
 それだけ呟いた龍造は、迫り来る竜斗の竹刀を己の竹刀で中心から逸らすだけで捌き、更に自分が回転することで竜斗に竹刀を打ち込む。
「のぁっ?!」
 龍造の放った月華をまともに受けた竜斗は、情けない悲鳴を上げて道場を転がり壁にぶつかる。
 そんな竜斗を呆れたように見る龍造が、溜息混じりに言い聞かせる。
「確かに月華は遠心力を得るため鋭月よりも威力は高い、じゃがそれは副産物に過ぎん。 本来月華は周囲から同時に迫る敵を攻撃する際や、敵の攻撃を受け流す際に使う技じゃと教えたじゃろうが」
 呆れきった龍造の声を聞く竜斗は、怒り絶頂のまま立ち上がる。
「んのやろぉ〜……、まだまだぁっ!!」
 竜斗は今、強くなろうとしていた。たとえ龍造にどれだけ馬鹿にされようとも、どれだけ打ちのめされようとも。
 己の無力を知り敵の強大さをその身で体感した竜斗は、今以上の力を欲していたのだった。

勇者幻獣神エスペリオン

第4話:『鎧竜』



 かつて幻獣勇者が邪鬼と戦う際、一体の幻獣と契約しただけでは力が及ばない状況も決して少なくはなかった。
 いかに幻獣の力を行使出来るとはいえ所詮は一人の力。
 当時まだ仲間を連れて戦う幻獣勇者が少なかった時代では、数に物を言わせた邪鬼に苦戦を強いられる事もあった。
 そんな状況を打破したのが、武装獣という存在だった。
 武装獣とはその名の通り武器や鎧、その他補助装備へと姿を変える特殊な幻獣のことだ。
 本来幻獣とは己を生み出した夢を抱く者とのみ繋がりを持つことができ、また契約が可能である。
 だが武装獣はその条件に縛られることなく、同じ夢、又は近しい夢を持つ者とならば契約が可能なのだ。
 なぜならば武装獣とは本来繋がりを持つはずの者を失い、夢を叶えられることなく存在し続ける幻獣だからだ。
 そこには目指していた夢だけが残り、それを目指していた者は志半ばに倒れたか、又は己の夢を誰かに託したか。
 そうする事によって人との繋がりを失い独立した幻獣は、知能のほとんどを失い幻獣界で常に呼びかけを待っている。
 そう、己の存在意義である夢を受け継ぐ者からの呼び掛けを。
 そうして幻獣勇者の呼びかけに応え新たに人との繋がりを得た幻獣はここで始めて武装獣の名を手に入れ、幻獣勇者の望む武器や防具へと姿を変えて力となる。
 いわば武装獣との契約は、契約者にとって他人の夢を受け継いだり、背負ったりするのと同じ行為なのだ。
 他人の夢を受け継ぐということは、それだけで受け継いだ者に力を与える。
 しかしそれと同時に、他人の夢とは重石となって心に容赦なく圧し掛かってくる。
 武装獣との契約でも同じことが言える。
 他人の夢を背負う覚悟と志がなければ、逆にその力に押し潰されてしまう危険性も含んでいるのだ。
 それ故に武装獣と契約を果たした幻獣勇者は、彼らの歴史の中でも強い夢と力を持ち合わせている者がほとんどだ。
 そして現在、今新たに幻獣勇者が武装獣を求め呼びかけを続けている。
 強き力と強者を目指す夢を内包した、己を護る鎧を求めて……






 事の発端は数日前、炎狼鬼との戦闘があった翌日まで遡る。
 いつもは剣道部の友人と昼食を共にする竜斗だが、その日は屋上で独り弁当をつついていた。
 理由は至って簡単、エスペリオンと相談事があり誰かに聞かれてはいけないと考えたのだ。
「なぁエスペリオン、もっと強くなれねぇか?」
 屋上で木刀に向かって話しかける少年、はっきり言って危ない人にしか見えない。
 しかしエスペリオンはそれとは別の意味で、竜斗に沈黙を返す。
「勘違いするなよ、別に変な意味で言ってるんじゃないぞ」
 エスペリオンの沈黙から誤解を察した竜斗は、ばつの悪そうな顔で慌てて弁解する。
「俺はただ、今のままじゃこれから戦って行くには力が足りないって、そう思ったんだ」
 炎狼鬼と戦った竜斗は、想像以上の邪鬼の力に自分の無力さを思い知った。
 ならば自らを鍛えて強くなればいい、龍造ならまずそう言うだろう。
 しかしそれでは間に合わない、竜斗は先の戦闘でそれを実感し少しでも強くなれる方法を探しているのだ。
 エスペリオンもそれを察したのか、今度は何かを思案するように沈黙する。
『……過去、幻獣勇者はある特別な幻獣を召喚し、武器や鎧にして戦ったと聞いたことがある』
 自分の考えに確信を持てないのか、エスペリオンは自信なく恐る恐るといった感じで竜斗に話す。
「特別な幻獣?」
『ああ、武装獣と呼ばれる幻獣だ。夢を果たされずして主を失った幻獣や、別の主に受け継がれるなどして元の主を離れた幻獣が変化したモノだと聞いている』
 どこか不安げな口調のエスペリオンは、それでもなんとか記憶を手繰り寄せ話を続ける。
『他人の夢を継ぐというのは、それだけで力を与えてくれる。しかしそれは、時に重石となって心に大きな負担を与えてしまう。武装獣も根本的にはそれと同じで、逆にキミに力を与えるだけではなく大きな負担を強いることになるだろう』
 エスペリオンは遠回しに誰かの夢を背負って戦うだけの覚悟があるか、そう問い掛けているのだ。
 竜斗は僅かに間を置いてから、はっきりとした声でエスペリオンの問い掛けに応える。
「……その武装獣ってのは、どうやったら仲間にできる?」
 僅かな沈黙の後、竜斗はそう話を切り出した。
 いつになく真剣な面持ちな竜斗に、エスペリオンも竜斗を信じたのだろう、今までよりもはっきりとした口調で話しだす。
『武装獣は幻獣界で新たな主からの呼びかけを待っているはずだ。キミのその強い意志を幻獣界に送ることが出来れば、武装獣もキミの呼びかけに応えてくれるかもしれない』
 どれだけはっきりとした口調になろうとも、やはり知識としては確信に欠けるのかそんな答えを返す。
「俺の、意志を?」
 簡単に言われても、どうすればそんなことが出来るのか竜斗には皆目検討も付かない。
 エスペリオンを呼んだ時も、アレはエスペリオンが境界まで来てくれていたからであって竜斗がエスペリオンを呼び寄せたわけではない。
『心配することはない、キミの夢は境界≠越えて幻獣界と繋がっている。ワタシの力でキミの意識を夢の中で保てば、そこからキミの声を幻獣界に送ることが出来る』
 本来幻獣勇者は自分の夢を通じて、幻獣界にいる契約した幻獣とコンタクトを取る。
 つまり幻獣勇者の見る夢は、幻獣界に通じる道の役割を果たし幻獣勇者の意思を送ることができるのだ。
「それって、今すぐにでも出来るのか?」
『ああ、可能だ』
 エスペリオンの返事を聞いた竜斗は屋上の扉に凭れたまま、深い眠りにつくように瞼を閉じる。
 再び竜斗が瞼を開けば、そこには何もない暗闇の空間が広がっていた。
 そこは以前竜斗がエスペリオンと契約を果たしたのと同じ空間、つまり竜斗の精神世界と呼ぶべき空間だ。
 そう、この空間こそ幻獣勇者の持つ夢の世界であり、エスペリオンなどの人間界に降り立った幻獣は契約者の中にあるこの空間の中で戦いに備えている。
『竜斗、キミとこうして向き合うのはこれが三度目だな』
 つい先ほどまで暗闇しかなかった空間に、浮かび上がるように光り輝く竜が現れた。
 夢の世界に現れたエスペリオンは、人間界に召喚される鋼の肉体ではなく元の生命体の姿をしていた。
「そうだな、エスペリオン」
 どこか微笑んでいるようなエスペリオンに、竜斗もまた口許に笑みを浮かべて応える。
 だが今は感慨に耽っている場合ではない、それを解っている竜斗はすぐに話を切り出す。
「早速だけど、どうすりゃいいんだ?」
 竜斗の問いに一つ頷くと、エスペリオンは口を開かず直接竜斗の頭の中に言葉を伝える。
『主なき幻獣が求めるのは、新たな主が持つ信念とその者が求める力。その意思の強さで己が主に相応しいものかを判断すると聞いている』
 エスペリオンの説明を受けた竜斗は、声に出さず自分の信念と今求めている力を心の中で反芻する。
(俺の信念と、求める力……それは……)
『それさえはっきりしていれば、後はそれを力強く心の中で願うだけだ。 幻獣界に響き渡るほど、ただひたすらに強く……』
 瞳を閉じ動かなくなった竜斗を見て、エスペリオンは竜斗の意識が既にここにない事を理解した。
(俺はただ、父さんの様に強くなりたい。誰もが認めるような強い男に……だから俺が求めるのはただの力じゃない。大切なモノを護る為の、そんな強いけど優しい力……)
 竜斗は幼い日の記憶を辿り、印象としてだけ残っている父親の姿を思い出す。
 それはとても力強く、そしてとても優しい、暖かく包み込んでくれるような強さ。
 父親を知るものは誰もが最強の剣士だと言い切る程の、誰もが認める強さを持つ父親。
 竜斗はただひたすら、記憶の中にしかないその姿を追いかけ続けている。
(俺は力が欲しい、誰にも負けない、どんなモノにも屈しない、そんな力が……)
 心の中の竜斗の言葉が、次第に叫びへと変わってゆく。
(いつか父さんの様になってみせる。でも俺には今力が必要なんだ、だから応えろっ! 応えてくれっ!!)
 竜斗はそのまま、エスペリオンが止めるまで心の叫びを上げ続けた。






 竜斗が龍造と稽古をしていた日の夕方、八雲学園剣道場からは断続的な乾いた音が響いていた。
 その正体は竜斗と、剣道部部長鳳凰寺 赤(せき)の竹刀がぶつかり合う音だ。
 自宅での稽古を終え部活に来ていた竜斗は、剣道部の稽古内容を終えるなり赤を捕まえ試合形式の稽古を申し込んだのだ。
 いつもなら絶対にこんな事を頼みはしないが、赤の強さを信頼しているからこそ竜斗は練習を頼んでいるのだ。
「紅月、いつもこれくらい熱心に、練習してくれると、嬉しいんだが?」
 明らかにいつもより気合の入った竜斗に、流石に息を切らせながら話しかけてくる。
「これは、獅季の分の、努力ってことでっ!!」
 いつもなら歯が立たない赤相手に、互角とも思える試合をする竜斗。
 やはり竜斗はどこか部活で本気になれていない部分があったのだろう、剣術を修める者としてくぎりをつけて力をセーブしていたに違いない。
「そうか、なら神崎には、もう少し身体を休めてもらうと、するかっ!!」
 いつも以上に白熱して竹刀を交わす二人に、他の部員は唖然として見ているしか出来ないでいる。
 剣道場にはひっきりなしに竹刀同士がぶつかり合う乾いた音と、二人の気合の声が響いている。
「うおぉぉぉっ!!」
「はあぁぁぁっ!!」
 部活の時間はとうに過ぎているが、二人がこんな状態では帰るに帰れない。
 というわけで、すぐに帰れる準備だけした部員は、折角なのでギャラリーとして楽しむことにする。
「紅月ぃっ! 今日こそ勝てよーっ!」
「負けるな部長ぉ! 剣道部最強の力を今こそぉっ!!」
「そこだー、いけー竜斗! 下克上だーっ!!」
「鳳凰寺先輩ファイトォッ!!」
 と身勝手に盛り上がる声援を送り付けて来る部員達に、竜斗達も自然と燃え上がってしまい試合が更に激しさを増す。
 むしろ既に剣道の試合と呼べるものではなくなり、お互い剣道以上の技を繰り出している。
「つぁりゃぁぁっ!!」
 右肩に担いだ竹刀を渾身の力で袈裟懸けに振りぬく紅月流・鋭月を、赤は持ち前のパワーと技量で剣先を逸らすことで避ける。
 赤の剣は我流ではあるものの、彼自身がかなり高いレベルの使い手だ。
 修行中の竜斗が相手とはいえ完成された紅月流の技と、剣を交え互角以上の戦いが出来るのだから当然だろう。
 むしろ見る者が見れば、竜斗よりも赤の方が技量が上回っていることが分かるはずだ。
「……っせい!!」
 今度は逆に赤の竹刀が竜斗を襲う。
 いつの間にやら片手持ちになった赤の竹刀は頭上で一回転させられ遠心力を得て竜斗を横から薙ぐ。
「……っらぁぁっ!!」
 左から襲い来る竹刀を同じく左から切り上げることで軌道を上に逸らし、竜斗はそこで一回転、紅月流・月華の体勢だ。
 渾身の力で振り切った竹刀では竜斗の次の攻撃には間に合わない、一瞬でそう判断した赤はギリギリの所でバックステップで距離を取る。
 ガッ!! という音を立て竜斗の竹刀が赤の胴当てを掠める。
「すげぇ! けどこれ……」
「ああ、もう剣道じゃねぇよな……」
「俺たち、こんな次元の違う奴等と稽古してたのか?」
 二人の試合によって張り詰めた緊張感はギャラリーからも熱を奪い、同時に並外れた戦いが自信さえも喪失させてしまう。
「はぁ…はぁ……驚いたぞ。 まさか本気の紅月が、ここまでやるとはな」
「はぁ…自分でも、信じられないッスよ。先輩とこんなに、やり合えるなんて……」
 二人とも大きく肩で息をしながら、竹刀を杖代わりにして何とか立っている状態だ。
 既に部活動として5時間の稽古を終えた後だと言うのに、もうかれこれ1時間近くも竹刀を交えているのだ。
 疲れるなと言う方が無理というもの。
「ふぅぅ……よし、次の一本で終わりにするぞ」
 息を整えた赤は侍が刀の血払いをするように竹刀を一閃する。
「はぁ…はぁ…赤先輩、勝負です!!」
 竜斗の方はまだ息が上がったままだが、それでも竹刀をしっかりと構える。
 次の一手で終わるという事は、竜斗が宣言した通り勝負にでるという事だ。
 お互い最強の技で仕掛ける、その所為か嵐の前の静けさの如く微動だにしない二人。
 二人から漂う雰囲気に、道場内までもが静まり返る。そして……
「うおぉぉぉぉっ!!」
「はぁぁぁぁぁっ!!」
 動いたのはほぼ同時、共に一足一刀の間合いにいるため踏み込めば相手に攻撃が届く。
 赤は大きく振りかぶった竹刀を全身を使って振り抜く、単純だが威力と速度は一級品だ。
 それに対し竜斗は紅月流の構えで踏み込み、先ほどと同じように袈裟懸けに竹刀を振るう。
「うおぉぁぁぁぁっ!!」
 竹刀がぶつかり合う音の直後、竹刀が面を打つ乾いた音が道場に響き渡った。
 数瞬の静寂、誰もがその光景に言葉をなくした。
 結果から言えば面に打ち込まれたのは赤の竹刀だ、しかし何故か竜斗の竹刀は最初とは逆、赤の左にあり赤の竹刀に弾かれている。
「……紅月、今のはなんだ?」
「完成するまでは、企業秘密ッス」
 どうやら竜斗はなにか技を試みたようだが、その正体は全く分からない。
 なにせこの場に居る全員が、竜斗が何をしたのか見えていなかったのだから。
「ってか、負けちまったぁ〜」
 その場にぐしゃりと座り込む竜斗に、赤が呆れた様子で竹刀を納める。
「まったく、今日はお前に驚かされてばかりだ」
 そこ赤の言葉でようやく道場内の緊張が解け、部員達もぞろぞろと道場を後にする。
(今の技、決まっていれば負けていたのはオレか……)
 そんなことを思いつつ、さっさと帰る準備を始めた竜斗を眺める赤。
「それじゃ、お疲れッス先輩」
 赤の胸中などいざ知らず、竜斗は荷物をまとめ道場を後にする竜斗。
 これから家に帰って家事をこなし、もう一度修行をするため張り切っている。
「さっきは失敗しちまったけど、今度こそ成功させてやる」
 先ほど赤に放った技のことだろうか、竜斗はまるで目的地が見えたかのように燃え上がっている。
 や〜るぞ〜! 等と一人で拳を握り締めている竜斗は、不意に聞こえた何かの声に我に返る。
「……なんだ、今の?」
 確かに聞こえた気がしたが、何処から聞こえたかまでははっきりしない。
 それどころか何の声なのか、獣の声の様な気もしたがそんのものここにいるはずもない。
 竜斗はどうしてもその正体が気になって、その場で立ち止まり耳を済ませる。
「……っ?!」
 やはり聞こえた、今度はかなりはっきりと。
 それは竜斗に呼び掛けて来る様な響きを持った、獣の咆哮だった。
 そしてそれはずっと上空から、竜斗の頭に直接聞こえてくるのだ。
「まさか、武装獣っ?」
 竜斗が視線を空に移すとそこには一箇所だけ禍々しい黒雲が立ち込め、音こそ聞こえないものの雷の光が見えていた。
 それは人間界の周囲に張り巡らされた境界≠ニ呼ばれる結界が、無理矢理破られようとする時に発生する、いわば結界の反発現象だ。
『急いだ方がいい、恐らく境界≠越えようとした幻獣が邪鬼に襲われている』
 竜斗以外には聞こえない声でそう話しかけるエスペリオンに小さく頷くと、竜斗は今一度校門を潜り抜け校舎へと走り出す。
(この距離なら碧のシードペガサスで飛んでいく方が速い)
 距離的に人の足で移動する距離ではないし、かといって二足竜であるエスペリオンに高速移動手段はない。
 更にエスペリオンには飛行能力がないため、どれだけ速く行こうと邪鬼が降りてくるまで待たなくてはならない。
 それに比べれば碧のシードペガサスなら幻獣形態で飛行すればより速く戦場に到着し、その背にエスペリオンを乗せて空中で戦う事も出来る。
「確か部活のヤツが、今日は生徒会があるとか言ってたはず」
 生徒会室へ向かうため高等部の昇降口に来た竜斗は、校舎の中にこちらへ向かってくる人影を見つける。
「竜斗さん!」
 竜斗と同じくらい急いだ様子の碧は、竜斗の姿を見るなりその表情が少し和らいだ。
「会議が終わった後に、空にあの雲を見付けて」
「ああ、とりあえずここじゃ目立ってエスペリオン達を喚べねぇ。 せめてもう少しひと気のない所じゃねぇと……」
 しかしここは八雲学園で最も人の集まる場所、そうそうひと気のない場所などあるものではない。
 もしあったとしても竜斗はこの学校区の全ての施設を知っているわけではない、だが走り回って探す時間もない。
「……この時間なら」
 ふと何かを思い出したのか、碧がポケットから手帳を取り出しパラパラとページを捲る。
「やっぱり。竜斗さん、第五運動場なら誰にも見られずにペガサスさん達を喚べます」
 第五運道場、第四武道場と第四体育館に挟まれた投擲等の陸上競技用に用意された運動場だ。
 広さは十分、学校区でも外側に位置し道場と学園大通りを挟む事で校舎からも見え難くなっている場所で、第四武道場と第四体育館さえ人がいなければ顔を見られることはないだろう。
 元々地形を把握していた碧は、どの時間にどの部活が活動しているかをチェックしているのだ。 なんでも生徒会の仕事に役立つらしい。
 ともかくそのメモから出来るだけ人に見られない場所を即座に割り出したのだ、碧の頭の回転は相当速いのだろう。
「よし、そうと分かれば急ぐぞ」
「はい!」
 目的地さえ決まれば悩む必要はない、二人は第五運動場走り出す。
 運動場に着くと案の定ひと気はなく、頷き合うと己の召喚器を取り出す。
 竜斗は袋から木刀を抜き、碧は下げている指輪をチェーンから外して指にはめる。
「「幻獣招来ッ!!」」
 木刀が真剣へと変化し、指輪から布が伸び肘までを覆う手袋を形成する。
 更に二人の足元に魔法陣が浮かび上がり、そこから二体の幻獣が飛び出す。
「碧、俺の羽になってくれ」
「はい。ペガサスさん、お願い」
 地面から現れた幻獣に同化すると、エスペリオンが人型に変形し幻獣形態のシードペガサスの背に跨る。
『飛ばすわよ、振り落とされないでね』
『承知した!!』
 背にエスペリオンを乗せたシードペガサスは、光を撒き散らす翼を羽ばたかせ空へと舞い上がる。
 そしてグングンと速度を上げ、遠くに見える黒雲へと天を駆ける。
「紅竜刀ッ!!」
 エスペリオンに同化した竜斗が愛刀・紅竜刀を鞘から解き放つと、エスペリオンの手にもまた紅竜刀が現れる。
 しかし今回は刀のままではリーチが不安だと考えた竜斗は、紅竜刀の柄に鞘を押し当てる。
 すると物理法則を無視して紅竜刀の柄と鞘が繋がり、エスペリオンの手には即席の槍とも薙刀ともいえない武器が握られる。
「あ、見えてきました」
「なんて数だ、地上に降りたらただじゃ済まねぇぞ」
 人間界のはるか上空に在る不可視の壁境界=Aそこに二十体以上の邪鬼が固まって何かに掴みかかっている。
 しかしその何かは、群がる邪鬼に隠れて見ることは出来ない。
「っ?! まただ、この声……」
 先程よりも更にはっきりと、竜斗の頭に直接響く獣の鳴き声。
 それは同時に境界≠ノ阻まれて空中に止まっている邪鬼の群れの中から、物理的な空気の振動を得て竜斗の耳にも届く。
「そこに、いるのか?」
 声が竜斗に応えるよりも先に、群がる邪鬼がエスペリオンたちの姿を捉える。
「ゲンジュウ、ゲンジュウゥゥゥッ!!」
 邪鬼の群れが一斉に動きを変え、境界≠抜けるために不可視の壁に力の限り己の腕を叩きつける。
「ゲンジュウ、タオス」
「ゲンジュウ、コロス」
「ゲンジュウ、ミナゴロシィィッ!!」
 本来ならこのくらいでは揺るぎもしないのだろうが、現在この境界≠ノはある理由から解れが生じている。
 故に力の弱い邪鬼が、解れから生じた裂け目を通って人間界に入り込んでしまうのだ。
『まずい、このままでは地上に大量の邪鬼がっ?!』
 険しい表情で思わず叫びをあげるエスペリオン。
「なんとか降りてくる前に倒せないんですか?」
 剥き出しの殺気を放つ邪鬼の群れに不安げな声を漏らす碧。
『ダメよ、下手に攻撃したら境界≠傷付けて一気に流れ込んでくるわ』
 完全に不利な状況に苦しい声で答えるシードペガサス。
「降りてきたヤツから倒していくしかねぇのか……」
 今はまだ一体も降りてきてはいないが、始まれば想像を絶する戦いになるだろう。
 それを本能的に感じ冷や汗を流す竜斗。
 その直後、ピシィ! という音と共に一体の邪鬼が境界≠越えてくる。
「ちっ、悩んでても仕方ねぇ! 片っ端から叩っ斬る!!」
『シードペガサス、間に合わないものは』
『分かってる、でも2体までが限界だと思うわ』
「皆さん、来ます!」
 一瞬で言葉を交わし、落ちてきた邪鬼に接近する幻獣勇者。
 最初の一体はすれ違いざまに紅竜刀の一閃で難なく倒すが、直ぐに二体の邪鬼が境界≠越える。
「碧、片方頼む!」
「セイントフェザー、行ってください」
 一体目を接近し紅竜刀で一閃、もう一体はシードペガサスの生み出す障壁で空中に止め直ぐに紅竜刀で倒す。
 ここからはコレの繰り返し、決定的攻撃力のないシードペガサスが補助に回りエスペリオンが攻撃を続ける。
 だが、倒した数が二桁に達した辺りで皆が異変に気付いた。
「竜斗さん、邪鬼の数が……」
「くそっ、全然減らねぇ!」
 恐らく幻獣の気配に惹かれているのだろう、減るどころか増えているようにも思える。
 紅竜刀で一体、また一体と邪鬼を斬り伏せる竜斗だが、その顔にもだんだんと疲れが表れ始める。
 そんな時、竜斗の耳に再びあの声が聞こえてくる。
『竜斗、呼んでいるのか』
 ほぼ確信に近いエスペリオンの言葉に、竜斗は口許を緩ませる。
「あぁ、名前を呼べってさ」
 紅竜刀を振る手を止め、竜斗は邪鬼の群がる空中を見る。
 竜斗にしか解らない言葉で語りかけてきた邪鬼に襲われる幻獣、その名前が竜斗の脳裏に浮かび上がる。
「竜斗さん、邪鬼が降りて行きます?!」
 竜斗が攻撃を止めたことで、何体かの邪鬼が地上へと降りて行く。
 しかし竜斗は邪鬼には目もくれず、紅竜刀の切っ先を邪鬼の群がる空中へと向ける。
「夢を忘れし鎧なる竜よ、我が身に纏いてその夢を解き放て……
               鎧竜王(がいりゅうおう)! ロードドラグーゥゥゥンッ!!
 竜斗の呪文と共に紅竜刀の切っ先から放たれた光は、群がる邪鬼の中に消えると何十倍もの光量で内側から邪鬼を吹き飛ばす。
グウオォォォォッ!!
 空気を振るわせるほどの咆哮を上げ翼持つ紅き竜の武装獣、鎧竜王ロードドラグーンが姿を見せる。
「来い! ドラグーン!!」
 竜斗の呼びかけにロードドラグーンが急降下し、エスペリオンがその背に飛び移る。
『まずは下に降りたヤツを叩くぞ、竜斗!』
「いぃっけぇぇえっ!!」
 境界≠越えた邪鬼は全部で五体、エスペリオンを乗せたロードドラグーンが加速をそのまま邪鬼を追う。
「グゥオォォォォッ!!」
 ロードドラグーンが放つ咆哮が直径5メートル近い火球へと変わり、邪鬼を一体飲み込んでゆく。
 更に一体を追い抜くと降下する二体の邪鬼をすれ違いざまに竜斗が紅竜刀で一閃、二閃、一刀の元に両断する。
 そして一番下まで降下していた邪鬼をロードドラグーンがその顎で捉えると、それを先程追い抜いた邪鬼に向けて放り投げる。
 自由落下してくる邪鬼とロードドラグーンに投げられた邪鬼、二体は空中で衝突しそこを更に紅竜刀が一閃する。
 瞬く間に繰り広げられた戦闘と呼ぶには一方的過ぎる攻撃を、碧とシードペガサスは呆然と見ている事しか出来なかった。
「竜斗さん、すごい……」
『アタシ達、まだこんなに強くなれるんだ……』
 ロードドラグーンが最初の光で群がっていたほとんどを消し飛ばしたため、今のところ後続の邪鬼は見当たらない。
 それを確認した竜斗は同時に別の気配を全身に感じ、空が黒雲に覆われるのを視界の端に視線を下に向ける。
「なるほど、新たな力を手に入れたというわけか」
 竜斗の視線の先には全身から薄い炎を揺らめかせる炎狼鬼の姿、以前までならその姿に少なからず恐怖を感じていただろう。
 だがしかし、今の竜斗には勝利を確信する事はあっても敗北を恐怖する事なありえなかった。
「たっぷりと見せてやるぜ、俺達の新しい力をなっ!!」
 竜斗はまるでそうする事が当然であるかのように、紅竜刀を鞘に収めその言葉を紡ぐ。
「いくぜ、エスペリオン、ロードドラグーン、鎧竜武装ッ!!
 竜斗の言葉に誘われるようにして大空へと飛翔するロードドラグーンは、エスペリオンが飛び退くととその身体を無数のパーツに分解する。
 頭部、首、胴体、前足、下半身、尾、それぞれ分解したパーツは変形してエスペリオンを覆う鎧となる。
 後ろ足を収納した下半身は左右半分に分かれ、それぞれエスペリオンの脚を覆い一回り大きい脚を形成する。
 続いて胴体が胸部から展開し、展開したパーツが上腕部を形成、そこに前足が変形した腕が接続される。
 エスペリオンの腕が短く収納されると、変形した胴体が背中からエスペリオンを覆うように合体する。
 更に首と尾のパーツがそれぞれ左右に展開し、フロントアーマーとリアアーマーとして合体する。
 合体することで出来た新たな腕から拳がせり出し、その腕が上へと伸ばされ真上まで来ていた竜の頭部を掴む。
 そして竜の頭部をエスペリオンの頭部にヘルメットのように被せると、一番後ろのパーツだけを残して竜の頭部を前方に引き剥がし胸へと付け直す。
 竜の頭部が外されたそこには既に新たな人型の頭部が在り、竜斗の闘志、エスペリオンの希望、ロードドラグーンの力が瞳に光を与える。
『「鎧竜合体……」』
 竜斗とエスペリオンの声が重なり、背の翼が大きく広げられる。
『「ローォド! エスペリオォォォン!!」』
 全身から圧倒的な力を放つ紅き竜の戦士、ロードエスペリオンはゆっくりと八雲学園の大地に降り立つ。
「ロードエスペリオン……か、相手にとって不足なしっ!!」
 全身から揺らめき立つ炎を両腕の爪に集中させると、炎狼鬼は全身のバネを利用して得意の接近攻撃を仕掛ける。
『遅いっ!』
 炎狼鬼がロードエスペリオンのいた場所に爪を振るった時には、既にロードエスペリオンは空中に飛び上がっていた。
「これが武装獣の、幻獣勇者の本当の力だっ!!」
 竜斗が叫び急降下するロードエスペリオンは、炎を纏った拳を炎狼鬼の顔面に叩き込む。
 腕を振るったままの状態でロードエスペリオンの拳を受けた炎狼鬼は、爆発で人間が中に舞うように天へと舞い上がる。
「ぐ…が、ば…かな? なんだ、この力は……」
 何とか空中で回転し体制を整えた炎狼鬼が着地すると、直ぐ目の前にロードエスペリオンが迫り渾身の拳を打ち込む。
「この力は、この力はな!!」
 以前はシードペガサスと二人で互角だった炎狼鬼相手に、ロードエスペリオンは拳を振るうだけで圧倒してしまう。
「過去の人間が残した大切なものを護るため力だ! 大切なもののために何者にも屈しない力だ! そして……」
 完全に防御を固めた炎狼鬼に、ロードエスペリオンが大きく振りかぶって渾身の力を込めた拳を叩き込む。
「これが未来を目指して希望を掴んだ時の、人間の、力だぁっ!!」
 ロードエスペリオンの拳に、炎狼鬼の身体が再び空へと舞い上がる。
「お、オレは、炎狼鬼! 邪戦鬼が一鬼、爆火の炎狼鬼だ! このオレが負けるなどありえんっ!!」
 咆哮のような叫びを上げる炎狼鬼に、ロードエスペリオンが言い放つ。
「醜い欲望しか持たないテメェに」
『本当の夢が!』
「本当の希望が!」
『「負けるものかぁぁぁっ!!」』
 竜斗が紅竜刀を鞘から抜き放つとロードエスペリオンの手にも紅竜刀が現れ、炎が包み込み一回りほど大きくなりデザインも変化する。
『ロードセイバー!』
 ロードエスペリオンは紅竜刀を変化させた愛刀、ロードセイバーを構え炎狼鬼に狙いを定める。
(今ならいける、紅月流・連月(れんげつ)……)
 紅月流剣技・連月、それは竜斗が赤との試合で見せた謎の技の正体だ。
 一刀目を打ち込み、その威力が残っている間に二刀目を叩き込む紅月流でも高位の技だ。
 一瞬で二刀分の斬撃を受けた相手は、どんな相手だろうとその身体を十字に斬り裂かれる。
 更に一刀目で相手の武器を破壊する事で、技の競り合いになったとしても必ず競り勝てる必殺の一撃。
 今まで一度も成功した事のない技だが、何故だか今の竜斗はそれができる事が当然のように思えた。
「いくぞ、ロードエスペリオン!!」
『おうっ!!』
 ロードエスペリオンが天へと舞い上がった炎狼鬼目掛けて翼を広げ加速する。
「このオレが負けるなど……」
 ロードエスペリオンの加速が最大にまで達し、全身全霊を込めたロードセイバーの刃が放たれる。
「紅月流・連月、改め……」
『「ロードッ!!クルスノヴァァァァァァッ!!!」』
「ぐうわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 一瞬にして放たれた二つの斬撃は、炎狼鬼の身体を十字に斬り裂き空中で爆発、四散させる。
 爆炎を背にロードセイバーを血払いするロードエスペリオンは、邪鬼の欲望を浄化するように呟きを漏らす。
『悪しき欲望よ、闇へと帰れ……』
 空を覆う黒雲が消え始め光を取り戻した世界に、ロードエスペリオンの胸の竜が咆哮を轟かせた。






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