二一世紀、人々はその生活圏の拡大や資材を集めるため、手当たり次第に山を削り森林伐採を繰り返す。
 そして今まさに、また一つの緑溢れる山が切り開かれようとしていた。
 山の麓には既にトラックが何台も停車し、森の木々は既にいくつかが切り倒されていた。
「おーい、次はこっちの切るぞ! 早くしろ!」
 見た感じベテランの雰囲気を漂わせる中年男性が、二十過ぎくらいの新米を怒鳴りつける。
 新米の方はしきりに何かを気にするように、後ろを振り返りながら中年男性の所まで来る。
「親方、向こうに石畳みたいのがあったんですけど。なんなんですか?」
 今日初めてこの現場に来た新米は、こうして先ほどから嫌になるほど質問をしてくる。
「ん、あぁ。あれはな、古い祠があったんだよ」
 親方と呼ばれた中年男性は、思い出すような仕草をして新米の指す方を見る。
 そこにはつい先日まで何かの祠があったのだ、所々が腐ってもはや誰も手入れはしていない状態で。
「そんな、大丈夫なんですか」
 青年は急に不安になり、先ほど自分がいた方に恐怖の視線を送る。
 祟られる、などと非現実的なことを考えているのだろう。
「大丈夫だって、一昨日作業を始める前に専門家に手順を踏んで移動してもらったから」
「でも、ああいうの最近多いじゃないですか」
 そう言う青年が何を考えているか察し、親方はがっはっはっと笑い出す。
「安心しろって、祟りなんざないからよ。俺達もプロなんだ、現場の事くらいしっかり管理してるさ」
 親方は青年に道具を渡し、先ほど目星を付けた木を手で叩く。
「それよっかほれ、仕事しろ仕事」
「……うぃーっす」
 緑溢れる自然の山から、また命ある木々が……一つ失われた。



勇者幻獣神エスペリオン

第1話:『飛来』



 そこは自然溢れる大地、人の住む世界と隣り合いながらも歩いては行けない異世界。
 幻獣界(げんじゅうかい)と呼ばれるその世界は、人の抱く"夢"や"希望"によって生まれた様々な獣、幻獣の住まう世界だ。
 獣といってもそのサイズは平均しても一〇メートル強、人間の目線から見れば巨大な怪獣である。
 しかし普段は平和な時間を過ごす彼等幻獣が、何故か皆空を地を駆け回り飛び回り忙しなく動いている。
 何かあったのだろうか、誰もが焦っているような表情を見せている。
 その一角で、数体の幻獣が集まって何か相談をしているようだ。
『ではやはり、"夢の祠"が何者かに破壊されたと言うことか』
 苛立ち気味にそう言うのは、狼と馬を合体させたような姿の幻獣だ。
『それしか考えられません、間違いなく"境界"の壁に亀裂が生じています』
 落ち着いた口調で話すのは、頭は鳥、身体は蛇、そして蝙蝠の翼を持つ幻獣。
『早急に手を打たねば、奴等が動き出してしまう』
 頭は牛、身体は鳥といった怪鳥の姿の幻獣が、深刻な面持ちで言う。
『ならば、ここは我等に任せてくれ』
 そう言って現れたのは、竜の姿の幻獣と獅子の姿の幻獣だ。
『ワタシ達が壁の亀裂から人間界に渡り奴等と戦う、その間に対策を練ってくれ』
 その言葉にそこに集まっていた幻獣だけでなく、絶え間なく動き続けていた他の幻獣でさえも驚きを隠せずに絶句していた。
『亀裂が出来たとはいえ、人間界へ渡るのは用意ではない』
『二人とも、無事では済まないかも知れないのですよ』
『それどころか、本当に渡れるかどうかすら』
 幻獣達は口々に不安を漏らすが、竜と獅子の幻獣は決意の瞳を皆に向けると高らかに宣言した。
『ワタシ達は幻獣勇者と接触する』
 竜の姿の幻獣の言葉を聞いて、大角鹿の姿の幻獣が二人の前に歩み出る。
『行くのですね、エスペリオン、サンレオン』
 優しく包み込むような声は、二人の決意を確かに受け取っていた。
 竜の姿の幻獣エスペリオンと獅子の姿の幻獣サンレオンは、静かに頷くと他の幻獣達に背を見せ一気に駆け出した。
 そして幻獣が生み出される人間界との唯一の道、夢の泉へと飛び込む。
 泉はどこまでも深く、けして底に着く事は無い。
 沈み続けるといつしか宇宙の様な暗い空間に出る、"境界"と呼ばれる人間界と幻獣界の狭間だ。
 この境界には人間界への干渉を阻む壁が存在し、幻獣達はその壁を越えることはできない。
 しかし今その壁に亀裂が生じ、幻獣達が直接人間界に干渉できるようになってしまったのだ。
 幻獣が干渉する分には問題ない、だがもう一つの存在は黙ってはいない。
『急ぐぞレオン』
 一刻も早く壁を修復する為、エスペリオンが速度を上げ更に沈んでゆく。
『うむ。……っ! エスペリオン、避けろっ!』
 エスペリオンの後ろを追うサンレオンも同じく速度を上げようとしたその瞬間、どこからとも無く五つの光が飛来した。
 速度を上げ無防備になったエスペリオンにそれを避ける術は無い、しかし咄嗟の判断でサンレオンがエスペリオンと光の間に割って入った。
『ぐあぁぁぁぁっ!!』
 五つの光をその身に受けたサンレオンは、その衝撃と激痛に悲鳴を上げる。
『レオンッ?!』
『くっ……お前は…人間界へ』
 振り返ろうとするエスペリオンを、サンレオンの言葉が制する。
『エスペリオン……行けぇっ!!』
 一瞬周囲を太陽の輝きに良く似た光が埋め尽くし、五つの光を押さえ込む。
『レオォォォォンッ!!』
 エスペリオンはサンレオンの放つ光を背に、友の名を叫びながら独り人間界へと向かうのだった。











 財団法人私立八雲学園、それは九十九里浜沿いの太平洋に建設された巨大学園都市である。
 幼稚舎から大学院、各スポーツ用施設、更には各専門施設までありとあらゆる施設を学生用に詰め込んだこの八雲学園は、サイズ的には既に都市といっても過言ではない。
 一応は学校区、居住区、商店区といったように区分けされているが、世間ではその全てをひっくるめて"八雲学園"と呼んでいる。
 この八雲学園の東側に位置する小高い山、降流山(こうりゅうさん)の頂に剣術道場がある。
 "紅月剣術道場"と書かれた木造の門から、今一人の少年が姿を見せた。
 この少年は降流山紅月剣術道場の一人息子、紅月 竜斗(くづき りゅうと)である。
 一六歳高等部二年で剣道部所属、ちなみに成績は下の上。
 若干幼さの残る顔立ちだが、その鋭い目つきと自身に満ちた表情が見る者にカッコいいと感じさせる。
 トレードマークは愛用している木刀、常に龍の刺繍の入った袋に入れて持ち歩いているのだ。
 八雲学園の制服を着て鞄等を持っているところを見ると、今から登校するのだろう。
 時間は六時半、彼の所属する剣道部の朝練は七時からなのでこの時間なら丁度良いくらいだ。
 学校区までは徒歩で二十分、登下校時間は定期的に通学バスが走るのでそれを使えば約十分に短縮できる。
 ちなみに通学バスといっても、一般のバスが登下校時間だけ生徒用に明け渡されているだけだ。
 この時間帯は生徒手帳さえあれば、無料でバスに乗ることが出来る。
 竜斗は特に慌てた様子も無く、山の頂から麓まで続く石段を下りて行く。
「ん、獅季(しき)じゃねぇか」
 石段を下りる竜斗は、丁度石段の下を通りかかった少年の姿を見付けた。
「おはよう竜斗、時間ピッタリだね」
 この少年は神崎 獅季(かんざき しき)、竜斗の幼馴染であり親友・ライバル・クラスメートでもある。
 この獅季という男は容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群に加え性格まで良い、と三拍子どころか四拍子も揃ったモテる要素を詰め込んだような男だ。
 ただし本人に自覚なく、知人からは朴念仁呼ばわりされ日々身に覚えのない殺意を向けられている。
 竜斗が剣術道場の息子であるように獅季もまた古武術道場の息子で、竜斗とは良きライバルであり良き仲間でもある。
 二人は何か特別な日以外はこうしてこの石段の下で合流し、すぐ先にある停留所に向かう。
 今日もそれに変わりは無く、挨拶を交わし歩き出す。
「なぁ獅季、昨日の英語の宿題見せてくれよ」
「自分でやりなよ、勉強ついて行けなくなるよ」
 日常的な会話、ごく普通の高校生である。
 二人が停留所に着くのとほぼ同時に、バスが止まりドアを開く。
 ここで遅れればそのまま歩いて行くのだが、今日は間に合ったようだ。
「セーフ」
 言いながら竜斗が乗り込み適当な席に腰を下ろす、獅季もそれに続く。
「よう」
「ちぃーっす」
「はよー」
 車内に入ると、剣道部も含めた見慣れた朝練組みの顔ぶれが声を掛けて来る。
「おう、席空けてくれ」
「おはよう、今日はいつもより空いてるね」
 挨拶を返し、竜斗は荷物が鎮座する席を空けてもらい、獅季はその横で吊り革を掴んで話しかける。
「なんか外の部活は三十分早かったみたいだぜ」
「へぇ、もう夏に向けてメニュー強化してるのかな?」
「どうでも良いけど、赤(せき)先輩が聞いたらウチは一時間早められそうだな」
 獅季たちの他愛ない会話から恐ろしいものを想像した竜斗が、ブルリと身体を震わせる。
 そんな話をしている内に、バスは学校区の内門(うちもん)に着く。
 内門というのは八雲学園の学校区に備え付けられた校門のことだ。ちなみに、八雲学園と日本本州を繋ぐ駅を外門(そともん)と呼んでいる。
 奇しくも世間の見解通り、この都市は"八雲学園"だと言うことだ。
「さてと、ゆっくり朝練の準備でもするか」
「でも部長辺りはもう来てそうだよね」
 楽しげに笑いながら剣道場を目指す竜斗と獅季、その後ろに人影が迫っていた。
「紅月、神崎、朝から楽しそうだな」
 突然現れ後ろからがしっと二人の首に腕を回し、口許にフッと冷笑を浮かべる青年。
「せ、赤先輩?!」
「部長、苦しぃ……」
 二人は困惑気味に自分の首をホールドする人物を認識した。
 鳳凰寺 赤(ほうおうじ せき)、八雲学園大学部の二回生で剣道部の現部長。
 面倒見が良く男子の後輩からの支持が高く、特に中・高等部くらいからすれば憧れの的である。
 事実上剣道部の全権限を持っており、練習内容の決定、レギュラー選抜などは全て彼が行っている。
 彼の考案する剣道部の練習は特にハードで、レギュラーメンバーは本当に動けなくなるまでやるのが基本だ。
「き、奇遇っスね、校門で会うなんて」
 竜斗の引きつった笑顔に、赤は嬉しそうに「そうだな」と応える。
「ほーんと奇遇よねぇ。まさか彼との楽しい登校タイムの後に、可愛い後輩に会うなんて」
 赤の後ろから現れた女性、葵 瑞波(あおい みずは)は本当に楽しそうに笑っている。
「お、おはようっス、瑞波先輩」
「先輩、おはようございます」
 首をホールドされたままで若干喋り難いが、竜斗達は律儀に挨拶を交わす。
「おはよ、二人とも元気良いわね」
 瑞波は赤同様大学部の二回生、更に薙刀部の部長を務め趣味で水泳同好会にも入っている。
 人懐っこく明るい性格は誰からも好かれ、男女どころか後輩先輩を問わず絶大な人気を誇る。
 そして何より、隣を歩く鳳凰寺 赤の恋人なのである。
 後輩二人とじゃれ合う赤の姿に、クスクスと笑みを零す瑞波。
「さて、時間もあることだ、他の奴等が来るまで俺の練習に付き合ってもらおうか」
「わっ、ちょ、ちょっと、部長ぉ〜」
「わっ、っとっと、瑞波先輩、たすけ……」
 赤は有無言わず二人を剣道場まで引きずって行った。無論、がっちりと首をホールドしたままで。
「頑張れ、男の子〜♪」
 そんな光景を瑞波は微笑ましく見送り、自分も薙刀道場に向かうのだった。






 HR前、教室の机に突っ伏す竜斗の姿があった。
「……ヒデェ目にあった」
 力なく机に身体を預ける竜斗は、先程の朝練を思い出し愚痴を漏らす。
「だいいち、なんであんなギリギリまで稽古するんだよ」
 呻く様に喉から搾り出した声は、何とか隣の席の獅季に届いた。
「ホントに、なんで部長は平気なんだろ」
 獅季も同じく疲れきった様子で、机に突っ伏しかすれた声を出している。
 するとそこに、数人の女生徒が集まってきた。
 獅季の周りに集まる女生徒たちは、竜斗そっちのけでワイワイと騒ぎ立てる。
「獅季君、疲れてるみたいだけど大丈夫?」
「ねぇ、冷たいもの買ってきたの」
「のど飴舐める、私持ってるよ」
 と、半分押し付ける様に獅季の世話を焼きたがる女生徒たちが押し寄せて来るのだ。
 HRが近いだけに教室の遠い者は来ていないが、それでも優に十人は越えている。
「はは……、ありがとう」
 これだけの状況に陥っていながらも、自覚が無いと言うのだから果てしなく鈍いのだろう。
 ただ獅季本人もこの状況は流石に迷惑なのだが、性格上相手の好意を無碍に出来ないようだ。
「はぁ、こんなのよく相手してられるな」
 隣の席に群がる女子生徒に明らかに迷惑そうな視線を送り、竜斗は疲れきった声でぼやく。
 獅季を中心とした人だかりが二十人を越えた辺りで、救いの鐘が校舎に鳴り響く。
 断っておくが予鈴ではなく、HR開始を知らせるチャイムだ。
「ほら、チャイム鳴ってるよ」
 迫り来る女子生徒達に気圧されながらも、何とか説得を試みる獅季。
「あ〜あ、もっと獅季君と話してたいのになぁ」
「神崎君、また後でね」
「ねぇ、今日お昼一緒に食べない?」
「あ、ずる〜い。 私も一緒して良い?」
 などと言って獅季の周りから分散していく女生徒たち。
 このクラスの者は自分の席に戻り、他のクラスの者は獅季に一言言ってから教室を出て行く。
「毎朝毎朝、ホント嵐みてぇだな」
 女子生徒達から解放されぐったりとする獅季に、竜斗が皮肉を漏らす。
 そんな竜斗に獅季は苦笑を見せ、ふと視線が動く。
 その視線の先には、生真面目そうな少女の姿が。
 制服をきちっと着こなし、姿勢正しく自分の席に座るその姿は嫌でも生真面目さを感じさせる。
 腰辺りまである黒のストレートヘアーや、整った顔立ちは魅力的と言っても良い。
 だがその生真面目な雰囲気は、少女をクラスから浮かび上がらせていた。
「誰だよ?」
 なにやら普通ではない視線を少女に送る獅季に、竜斗が思わず疑問を投げかける。
「高等部の生徒会長だよ。っていうか2年になってからもう一ヶ月近く経つのに、クラスメートくらい覚えときなよ」
 呆れた様に言う獅季だが、やはり心配そうな、彼がいつも厄介事を引き込む時の眼をしている。
「あの娘、輝里 碧(きざと みどり)ちゃんっていうんだけど……」
 一瞬口を噤むが、獅季は言葉を続けた。
 獅季の脳裏に、生徒会の仕事を独りで黙々とこなす少女の姿が浮かぶ。
「なんかさ、凄く無理してるように見えるんだよね。助けてあげたいんだけど」
 獅季の言葉に竜斗は盛大に溜息を吐き、彼をジト目で見る。
「ったく、またお前のお節介かよ。小さな親切大きなお世話って、知ってるだろ?」
 愚痴るような口ぶりの竜斗に不満を覚える獅季だが、竜斗は言葉を止めない。
「相手が頼んでもねぇのに手ぇ貸して、親切の押し売りしてるようなモンだぜ」
 竜斗の言っている事も正しい、それが解る獅季だからこそその表情が苦いものになる。
 それでもやはり獅季には見過ごせなかった。
 いつも独りでいて、忙しくなることで寂しさを紛らわせているような少女の姿が見ていられなかった。
「それでも、やっぱり助けてあげたい」
 今度は別の意味で溜息を吐く竜斗は、呆れとも感心ともとれる表情で付け加える。
「ま、いいんじゃねぇか? それがお前の良い所なんだしよ」
「ちょっとは黙っとれっ! 紅月ッ! 神崎ッ!」
 竜斗が言い終るのとほぼ同時に、担任教師の怒鳴り声が教室に響いたのだった。






 日も沈み空が暗くなり始めた頃、八雲学園剣道場ではまだ活気のある声が響いていた。
「そこっ! 何をへばっている、まだ続けたいのかっ!」
 市民体育館並みの剣道場に響き渡るのは、この剣道部を預かる赤(せき)の声だ。
 彼は自分も稽古に参加しながら、尚且つ他の数十人にもなる部員の稽古を見ている。
「全員気張れーっ! ラスト一分だっ!」
「オォーーーッ!!」
 大音響で響く赤の声に、剣道場内の空気が一気にヒートアップする。
 部員達は最後の力を振り絞って、相手をぶつかり合う。
 そして……
「よしそれまでっ!!」
 赤の号令で全員が一斉に止まり、崩れ落ちそうになるのを必死で堪える。
 ここで気を抜いて崩れ落ちようものなら、また同じ稽古を繰り返されるのだ。
「全員、礼ッ!!」
 最後に剣道場の奥に備え付けられた神棚に礼をし、そこで始めて皆崩れ落ちる。
 立っていられるのは、ほんの極一部の部員のみだ。
 竜斗と獅季はその一部、それでも全身で息をして今にも崩れ落ちそうだ。
「やぁっと終わったぁ……」
 全身に溜まった疲れを吐き出すように、竜斗が言葉を漏らす。
「そういえば、もうすぐ恒例のレギュラー選抜トーナメントだね」
 稽古で竜斗の相手をしていた獅季が、息を整えつつそんな事を言う。
 この剣道部では、春一番の試合の前までにレギュラーを決める部内戦があるのだ。
 小・中・高・大学部の各部で行われ、今年度前期のレギュラーを決めるのだ。
「今年もレギュラーの座は、頂きだぜ」
 と強がってはいるものの、立っているのがやっとで脚がガクガクと震えている。
「…………」
「…………」
 竜斗も獅季も一瞬沈黙し、大きく溜息を吐く。
「……帰ろっか」
「……そうだな」
 疲れた身体を引きずり、竜斗と獅季は他の部員に混じって帰り支度を始める。
 五分もしないうちに着替え、片付けを済まして剣道場を出る。
「ったく、この時間になるとバスが無いんだよな」
 八雲学園内を走るバスが下校用に解放されているのは、午後三時半から午後七時半までの間だ。
 何故かというと、本来はそれが下校時刻だからである。
 しかし剣道部は誰か一人がほんの一瞬でも気を抜けば、七時三十分ギリギリまで稽古が伸びる。
 おかげで帰り支度をするだけで下校時刻を過ぎ、下校バスの時間帯を逃すのだ。
「仕方ないよ、あの部長なんだから」
 苦笑する獅季の言葉に、竜斗も苦笑を返すしか出来なかった。
「っとワリィ獅季、買い物して帰んなきゃなんねぇんだ」
 獅季と一緒に帰路につこうとして、竜斗は自分の家の食材が底をつきかけいたのを思い出す。
「そうなんだ。じゃ、また明日」
「おう、また明日」
 軽い挨拶を交わし、二人は正反対の道を進む。
 学校区から商店区と居住区は真逆に位置している、したがって商店区に寄ろうと思うとぐるっと回り道をして帰らなければならないのだ。
 ただし食材や日用品を売っている店よりも先に、飲食店やゲームセンター等の若者向けの施設店舗が密集している。
 しかし今日の竜斗は部活で体力を使い果たしているため、ゲームセンター等には目もくれない。
 さっさと買い物を済まして帰りたいのだが……
「────っ!」
 ゲームセンターと模型店の間、八雲学園ではほとんど人が行くはずの無い路地裏の方から悲鳴の様な声が聞こえた気がした。
「…………」
 気にせず先を急ごうと思ったのだが、竜斗はその場に立ち止まっていた。
 止めた足を動かそうとするのだが、さっきの悲鳴が気になって仕方が無い。
「俺も、獅季のこと言えねぇな」
 そんな事をぼやきながら、竜斗は路地裏へと入っていく。
 物音を立てず息を殺し、角から路地裏の奥を覗く竜斗。
「っ! やめて、くださいっ」
 精神的にも肉体的にも苦痛を感じさせる、悲鳴にも似た少女の声。
 そこには、数人のガラの悪い不良学生に囲まれた少女の姿があった。それも高等部の生徒だ。
 学年別に渡される校章は不良達が3年だということを示している。
 男達は少女を壁際に追い詰め、今まさにその腕を握って言い寄っている。
「だーかーらー、オレ達と遊ぼって言ってるんだよ」
「そうそう、きっと楽しい夜になるぜ」
「君カワイイし、オレ等も頑張っちゃうぜ」
 ニヤニヤと口許にイヤラシイ笑みを浮かべ、今にも不良達は少女に襲い掛かりそうだ。
「やめて…ください……、私帰らないと……」
 脅えた様子で男達から目を逸らす少女、よく見ると見覚えがある気がする。
 腰辺りまである黒のストレートヘアー、脅えて歪んではいるものの整った顔立ちははっきりと解る。
「あの娘は……獅季が気にしてた。たしか輝里…だったよな?」
 竜斗は自分の記憶を辿り、今朝の出来事を思い出す。
 間違いない、クラスメートの輝里 碧だ。
「ったく、こんなトコでなにやってんだか」
 竜斗は辺りに気を配り、とりあえず見えている以外の敵を探る。
「とりあえず、他にはいないみてぇだな」
 見えているのは五人、碧に絡んでいるのは三人で残り二人は後ろでその光景を眺めている。
 流石にここまで来て帰るわけにもいかず、竜斗は仕方なく路地裏に入る。
「あん、なんだお前」
 後ろで眺めていた男の片方が竜斗に気付き、無意味な凄みを利かせて睨みつける。
「その娘さ、俺の友達なんだ。待ち合わせしてたんだけど?」
 勿論嘘である、これで引き渡してくれるのならそれが一番平和的なのだが。
「残念でした、この娘は今から俺等とお楽しみなんだよ」
 碧の手を掴んでいる男が優越感に浸る様に、竜斗にイヤラシイ笑みを浮かべる。
 それにつられてか、他の四人もニタニタと笑う。
「お前等顔が怖すぎるんじゃねぇのか、怖がってるぜ」
 こっちは余裕の笑み、竜斗は実力行使でこの不良達をねじ伏せる自身があるのだ。
 竜斗の見せる余裕に、不良達の機嫌が急激に悪くなる。
「調子に乗ってると、痛い目見るぜ」
 体格の良いいかにもケンカの強そうな男が、指をボキボキと鳴らしながら竜斗の前に歩み出る。
 男は徐に振り上げた拳を、力いっぱい手加減無しに振り下ろす。
「痛い目って……」
「なっ?!」
 簡単な脚裁きで男の拳を避けた竜斗は、人一倍大きな男の懐に入り一歩踏み込む。
 ズンッ! と重い音と共に男が後ろに吹っ飛ぶ。
 陰になって見えていなかったが、竜斗は拳を繰り出したようだ。
 もっとも、吹っ飛んだ男とは違って踏み込みと同時に拳を突き出しただけだ。
 竜斗は拳を開きまた握る、それを何度か繰り返してから残りの不良達に向き直る。
「こんな風にか?」
 挑発する様な視線を不良達に向け、竜斗は口許に笑みを浮かべる。
 不良達は竜斗と倒れたまま呻き声を上げる仲間とを交互に見て、表情に怒りと戸惑いを見せる。
「てっめぇっ!」
 別の男が無謀にも竜斗に殴りかかるが、あっさり避けられ竜斗に脚払いを喰らう。
 男は無様に倒れこみ、見事に顔面をアスファルトに打ち付ける。
「あ、鼻折れたかも」
 顔をあげ鼻を押さえる男、鼻血も流れていてかなり痛そうだ。
 竜斗もそれを覗き込むためしゃがもうとするのだが、そこにまた別の男が竜斗に殴りかかる。
「止めとけよ」
 そう呟きながら男の拳が当たる前にしゃがみこんで、竜斗は男の脚を徐に払う。
 バランスを崩した男は、立っていられずに鼻血を流す男の上に倒れこむ。
「ぎゃっ?!」
「うがっ?!」
 新たに倒れこんだ男も、下敷きにした男の後頭部に鼻っ面をぶつけ鼻を押さえて悶えている。
「どうせこうなるんだから」
 苦笑を漏らす竜斗は、自分の足元で悶える男達をチラッとだけ見て残り二人に歩み寄る。
「早目にこいつ等連れて帰ったほうがいいぜ、帰れなくなるから」
 また挑発的な視線を向けるが、今度は不良達の顔が恐怖に引きつっていた。
 恐怖に血迷ったのか、碧の腕を掴んでいた男がグイッと羽交い絞めにしてポケットから何かを取り出そうとする。
「こいつがどうなって……」
 男がポケットから取り出したのは折りたたみ式のナイフ、ワンタッチで刃が露になり碧の首筋に触れようとしている。
 だが、ナイフを握る男の腕が何かに弾かれ、ナイフを取り落としてしまう。
 一瞬唖然とした不良は竜斗が振りぬいている木刀を見て初めて、ナイフを木刀で弾かれた事を理解する。
「ド素人が、そんなモン使うんじゃねぇ」
 怒りさえ感じられる竜斗の鋭い眼光に、男は腕を弾かれた格好で動けなくなる。
「ぁ…ぁあ……」
 最後まで仲間が倒されるのを眺めていた男が、情けなくその場から逃げ出そうとする。
「おい、待てよ」
 竜斗は自分の横をすり抜けて逃げようとする男に脚払いをかけ、こける寸前で服を掴んで持ち上げる。
「た、助けてくれぇっ」
 男は悲鳴の様な声を上げ、竜斗の手から逃れようとする。
「一人で逃げねえで、ちゃんとこいつ等も連れて行けよ」
 碧を羽交い絞めにしたまま硬直する男の頭を軽く木刀で叩くと、力が抜けたのか碧を放してその場に崩れ落ちるように座り込む。
 手元の男も暴れる気配が無いので、竜斗は手を放してやる。
 力無くその場に崩れる男、もとい不良達に竜斗はふぅと一息つく。
 不良達は路地裏の地面で呻き声を上げたり、正気を失って座り込んでいる。
「案外歯ごたえねぇな」
 五人もいたが、それもものの数分でこの様だ。
 竜斗はもう一度その場をよく見渡し、ボソっと呟く。
「……ちょっとやりすぎたか?」
 そもそも自分が睨むだけでここまで脅えられると、逆に悲しくなってくる。
 ナイフを使おうとした男は、竜斗が睨み付けただけなのだがもう失神している。
「俺って、そんなに怖いのか」
 などと少し不安になる竜斗だが、些細なことは気にしないと不良たちを無視して壁際で震えている碧に近付く。
「よう、大丈夫か?」
 出来るだけ自然に話しかけたつもりだったが、碧はまだ状況が理解できてないのか俯いて震えている。
 真面目そうな娘だ、こんな体験も始めてだったのだろう。
 大事になる前に助けに入れて、竜斗は内心ほっとしていた。
「なぁ、輝里…だったよな? もう大丈夫だぜ」
「……ぇ?」
 ようやく竜斗の声が聞こえたのか、消え入りそうな声と共に顔を上げた。
 まだ不安と恐怖の残る表情、目尻には涙が浮かび碧がどれだけ脅えていたかを物語っている。
「……紅月…くん?」
 また消え入りそうな声で、碧は竜斗の名を呼ぶ。
「そう、紅月 竜斗。とりあえずそこの連中がうるさいから場所移ろうぜ」
 未だに呻き声を上げる不良たちを指して、竜斗が苦笑混じりに言うと碧は何も言わずに頷いた。
 路地裏を出て表通りのベンチに座る碧に、竜斗が缶ジュースを持ってきた。
 碧をベンチに座らせてから、直ぐそこの自動販売機で買ってきたのだ。
「ほら、適当に買ってきたけど良かったか?」
 差し出したのはオレンジジュース、碧はまだ若干虚ろな瞳でそれを受け取る。
「ありがとう、紅月くん……」
 やはり消え入りそうな声で言う碧に、竜斗は自分の持っていた缶コーヒーの口を開ける。
「別に、気にすんなよ。偶然通り掛っただけだし」
 そう言って一口、コーヒーを口に含む。
 無糖ではないが、コーヒー独特の苦味が口の中に広がる。
「とりあえずほら、もう暗ぇんだしさっさと帰ったほうがいいぜ」
 碧はまだ俯いている、竜斗の渡したジュースの缶を握り締めて。
 その姿にこのまま独りにするのは危ない、そんな気がした竜斗はあらぬ事を口走った。
「なんなら、家まで送るけど?」
 竜斗の言葉に躊躇いがちに首を振ると、碧はベンチから立ち竜斗に向き直る。
「その……今日はありがとうございました」
 竜斗と目を合わす事は無かったが、ペコリとお辞儀をして碧はその場を立ち去った。
 竜斗は何となくその背中を追うことが出来ずに、ベンチに座ったまま碧に視線だけを送る。
「ホントに大丈夫か、あいつ」
 呟いて缶に残っているコーヒーを一気に喉に流し込むと、竜斗はすっと立ち上がる。
「さてと、遅くなんねぇ内に買い物済ませねぇと」
 この区域に来た当初の目的を思い出し、竜斗は手の中の缶をゴミ箱に放り込んでから歩き出す。
 が、今度もまた竜斗はその足を止めた。
 足音がしたのだ、後ろに人の気配がある。
 普通なら立ち止まる程のことでもないが、竜斗はその気配が妙なのに気が付いた。
 言葉には出来ないのだが、確かに違和感がある。
 竜斗はその答えを知るべく、後ろを振り返る。
「…………」
 言葉を失った、そこには先ほど倒した男達が立っていたのだ。
 怪我自体は大したモノではないが失神していた者もいるというのに、男達は揃って無表情の仮面でも付けたかのように薄気味悪い顔で立っている。
 そこにいるのは人ではない、竜斗の本能はそう告げていた。
「……ゥ」
「ゥウゥゥゥ……」
 男達がまるで獣の様に唸りだす、犬が相手を威嚇する時に出す感じの唸り声だ。
「な、なんだよ。殴られ足らねぇのか?」
 強がって挑発してみる竜斗だが、その自信は恐怖に崩れつつある。
「ウゥゥゥゥウウウウウ……」
 唸り声はどんどん強く大きくなり、竜斗に与える恐怖を強めていく。
「ウウウガァァァァァァァァッ!!」
 強まり続ける唸り声は咆哮となって辺りに響く。
 そして同時に、男達の身体に異変が起きた。
 ベキッ ゴキッ ゴキャッ といった感じの気味の悪い音を立てて、男達の身体が変体してゆくのだ。
 変体を終えたそれは、既に人ではなく一体の化け物と化していた。
 黒光りする怪しい身体は、甲虫などの外骨格に似た形状をしておりその硬さが窺える。
 指先やつま先は鋭く、肘や膝からは突起が飛び出し、額には存在感をヒシヒシと感じさせる角がある。
「何なんだ、いったい何なんだよっ?!」
 恐怖を振り払うため、竜斗は叫ぶ。
 しかし竜斗の本能はこの化け物には勝てない、早く逃げろと頭の中に警報を鳴らし続ける。
 だがそれと同時にこの化け物を放って置いてはいけないと、叫ぶ理性がいた。
 まともな思考なんて行えない、竜斗の身体は恐怖に固まっていた。
 木刀を握る手も震えている、脚なんて震えすぎて立っているのが不思議なくらいだ。
「……動け」
 それでも竜斗の理性は、戦うことを選んだ。
「動け…動け…動け…!」
 必死に自分に命令する。
 自分の腕に、脚に、指に、つま先に、肩に、膝に、肘に、全身に、ひたすら動けと命令する。
「動け…動け…動けぇぇぇぇっ!
 叫んで竜斗は飛び出した、木刀を袋から抜き目の前の化け物に斬りかかる。
 化け物も負けじとその豪腕を振りかぶりる。
 その時……
グオォォォォォォォッ!
 遠雷の様な咆哮が、どこからともなく飛来した。
 ズゥゥゥゥン! ともの凄い音を立て、飛来した巨大な何かは地面に着地した。
 竜斗の目の前の地面は見事にへこみ、商店区のアスファルトにクレーターを作る。
 そして、そこには全身を淡い光に包まれた竜が立っていた。
 細かく分類するならば、二足竜と呼ばれる類の翼のない洋竜だ。
 一〇メートル強もあるその竜は全身を硬い鱗に覆われ、鋭大きな爪と牙を持ち、二本の足で地に立ち、咆哮を上げる。
グウオォォォォォォォォォッ!
 そのあまりもの音量に、周囲のガラスが次々に割れていく。
 先ほどまで竜斗の目の前にいた化け物達は、何事も無かったかのように元の姿で竜の足元に倒れている。
 本来なら空から落ちてきた竜が新たな恐怖の対象になるのだが、不思議と竜斗はこの竜に恐怖を抱かなかった。
 それどころか力強い、頼りになるとさえ感じた。
『ありがとう、希望の勇者よ……』
 その言葉と共に竜は眩しく輝き、次の瞬間には竜斗の前から消えていた。






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